書評

『大衆の狂気 ジェンダー・人種・アイデンティティ』 非寛容なリベラルの猛威

『大衆の狂気』

人種や性をめぐる近年の米英社会の分断と混乱は激しい。「文化戦争」と呼ばれ、政界も揺るがしている。影響は日本社会にも忍び寄る。「キャンセルカルチャー」がそれだ。過去の差別的発言などがネットで炎上、職やポストを失う人が頻繁に出る。英国の保守派論客がゲイ・女性・人種・トランスジェンダーの4分野で起きたさまざまな事例を通じて「文化戦争」の実態を描き、マルクス主義と情報技術の影響、「ゆるし」という3つの視点で分析した。

保守側に偏った議論だと考えるべきでない。著者自身がゲイであり少数派だ。立ち返る原点は、人を「肌の色でなく人格で判断する」社会を求めたキング牧師だ。むしろ伝統的リベラルといえる。それが保守派に分類されるところに、今日の米英社会の過激な変化がうかがえる。

著者は少数派の権利拡大を批判しているわけではない。急激な変革によって生じる混乱で、逆に権利拡大への「反動」が起きることを恐れている。

2016年米大統領選でヒラリー・クリントン候補はLGBT(性的少数者)団体の支持を求めたが、1990年代にクリントン大統領夫妻(当時)はこぞって同性婚に反対していた。時代の文脈が変われば人の立場も変わる。それが進歩だ。

ところが、ツイッター上の10年前の何気ない差別語使用が活動家(「言葉警察」)によって探り出され、せっかく得たポストをふいにする人がでる。あるキャンセルカルチャーの被害者は「文脈の崩壊」と呼んだ。「私的な言語と公的な言語との境界の崩壊」も起きている。ソーシャルメディアの世界は人を傷つけることはできても治せない。災難を引き起こせても治められない、と著者は批判する。

寛容を旨とするはずのリベラリズムが、復讐(ふくしゅう)心に満ちた独断主義に陥り、リベラルな時代を崩壊させかねない。それが、現代の状況だと著者は言う。

本書が描く人種差別反対運動家の1人は、「事実」や「客観性」「思想の多様性」という概念はすべて「白人至上主義」の婉曲(えんきょく)表現だと難じる。リベラリズムどころか近代世界を崩壊させかねないおぞましさだ。そんな思想を認めれば、大衆は狂気に陥らざるを得ないだろう。(ダグラス・マレー著、山田美明訳/徳間書店・3080円)

評・会田弘継(関西大客員教授)

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