【あの名場面の裏側】G戦士編
まさに神がかり。何かにとりつかれたように篠塚和典(当時利夫)は右に左に打ちまくった。1981年5月9日の対大洋戦(横浜球場)。積もったベンチ生活の鬱憤を一気に爆発させた。
前年ようやく二塁のレギュラーポジションをつかみ、篠塚にとっては希望にあふれるシーズンとなるはずだった。ところが巨人に激震が走る。オフに恩師の長嶋茂雄監督が解任され、世界のホームランキング王貞治が現役引退。二枚看板のONが消える事態となった。
暗雲に覆われかけた巨人だったが、新監督の藤田元司がドラフトでゴールデンルーキー原辰徳(東海大)を抽選で射止めた。新首脳陣としては人気者の原を全面的に売り出しチームに光をもたらそうと考えたのは当然で、開幕スタメン起用を構想にキャンプから進んだ。
原の本職は三塁手。しかし、三塁にはリーダー格の中畑清がいたため、そこを押しのけることはできず、原は二塁にまわされて練習。結果、レギュラーをつかみかけていた篠塚とポジション争いをすることとなった。
キャンプが深まるにつれ篠塚は自分がいくら頑張っても「二塁は原で決まり」の絶望感に襲われた。力の差を感じたわけではない。守備では元々うまい選手という評価を受けていたし、急造二塁手の原とはグラブさばき、足の運び一つから違った。
