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天皇家は朝鮮半島から来た!?韓国の理不尽な「歴史妄想」を許すな

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産経新聞

ソウルの旧朝鮮総督府(後方)と光化門=1972年撮影 1/1枚 【対韓 最後通牒】

 韓国人の言うことで日本人が一番腹が立つのは、皇室に対する不敬だろう。天皇陛下を「日王」と呼ぶのは極めて失礼だ。文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、現上皇さまを「戦争犯罪の主犯の息子」と呼ぶなど、非常識の極みだ。

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 サッカーワールドカップ(W杯)日韓大会のとき、当時の天皇陛下が、桓武天皇の母が百済王室に連なるという「ゆかり」を話されたら、韓国マスコミは「日王が百済王室の末であると認めた」と曲解したが、父である光仁天皇の側室が百済王家の子孫だっただけだ。

 世界の常識では「韓国は近代日本をモデルとして模倣して成功した国」として評価されている。

 ところが、韓国人は「自分の方が兄貴分なのに、逆に見られる」のが気に入らない。日本が兄だと威張る必要はないが、日本人でホラ話に同調する輩がいると図に乗られる。「天皇家は朝鮮半島から来た」と韓国での講演で話した有力政治家もいる。

 しかし、新羅の国王には日本人もいたと、朝鮮半島最古の歴史書『三国史記』という正史にまで書いているのに対し、古代日本の支配者が半島から来たとは、日中韓の史書はおろか民間伝承にもなく、戦後、突然生まれた妄想である。

 縄文人も弥生人も大陸からやって来ただろうから、皇室の先祖もその中にいただろうが、記憶にない遠い昔の話だ。

 『日本書紀』や『古事記』には九州出身の神武天皇が大和の国で建てた小国が発展したと書いている。中国の正史にも「畿内から出て東国・西国・半島南部を征服した」とする雄略天皇とみられる倭王武の手紙が紹介されている。

 中国の史書『魏志東夷伝』には、半島南部が日本より後進的だとある。百済経由で日本が中国文明を受け入れた時期はあるが、その担い手はほとんど漢民族だった。韓国(新羅)は日本の領土だった任那を侵略し、友好国だった百済を滅ぼし、百済の支配層のかなりが日本に移住したのだから、百済にお世話になったことが韓国への恩義になるはずない。

 それでは、「韓国が兄」という意識がいつ生まれたのかを調べたところ、どうも、朝鮮総督府が「内鮮一体化」のために日本人に韓国の文化への敬意を持たせようと宣伝したことが起源のようだ。李氏朝鮮では、ハングル冷遇や民芸品への低評価に見られるように、民族の歴史や文化は彼ら自身が大事にしていなかったのである。

 私は、日本も韓国も、中国の強い影響を受けてきたが、いずれも中国より先進国になったことをともに誇ればいいと思う。しかも、私たちの世代に限れば、韓国の勝ちだ。平成の30年間で日本のGDPは1・6倍になっただけだが、韓国は5・5倍にした。中国にもそうだが、日本が経済再生に成功することが、韓国に勘違いして理不尽なことを言わせない決め手なのだ。 =おわり

 ■八幡和郎(やわた・かずお) 1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。徳島文理大学教授。著書に『韓国と日本がわかる最強の韓国史』(扶桑社新書)、『捏造だらけの韓国史』(ワニブックス)など多数。

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