阪神大震災26年 記憶のバトンを次代へ 震災知らぬ若者が語り部団体立ち上げ
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震災を体験していないのに、あの日のことを語っていいのか。そんな心の葛藤は被災者から託された「継承の願い」により消し去られた。阪神大震災の発生から26年となった17日、追悼のつどいが開かれた神戸市中央区の東遊園地には、ボランティアとして働く若者の姿があった。昨年10月に発足した語り部団体「1・17希望の架け橋」のメンバーたち。「震災後に生まれたからこそ、できることがある」と、受け取った記憶のバトンをさらに次代へつないでいく。(中井芳野)
未明の東遊園地。「架け橋」の代表で会社員の藤原祐弥さん(18)=同市長田区=は、会場に並べる紙灯籠の点灯に忙しく立ち回った。
語り部ブースでは、発生当時の掲示写真を整理。被災者の男性が体験談を話し始めると、自ら質問しながら、一言ももらすまいと耳を傾けた。「コロナ禍で経験を聞く機会も減ってしまっているので」
神戸市長田区出身。甚大な被害を受けた街のことを小中学校の防災学習で教えられ、災害や防災に興味を持つようになった。「残った人たちはどんな思いで過ごしているのだろう」「もっと多くの被災者から話を聞いていきたい」。進学先として、全国で初めて防災の専門学科が設けられた兵庫県立舞子高校(同市垂水区)を選択するのに、時間はかからなかった。
同校の環境防災科に入学後は、東日本大震災のスタディーツアーで出会った被災者に代わって、その経験を母校の中学生に語り継いだことも。幼い娘を亡くした父親が涙ながらに語ってくれたエピソード、住民が消えた宮城県石巻市の景色。自らの耳と目で確かめた災害の爪痕を自分の言葉でつむぐと、目の前の中学生が熱心にペンを走らせてくれた。「ちゃんと伝わった」。達成感が広がった。
一方で、自分が生まれる前に起きた阪神大震災を語ることには、ためらいがあった。本当に被災者の思いを代弁できるのか。痛みを知らない若者が語ることを嫌がる人もいるのではないか-。
そんな藤原さんの背中を押してくれたのも、震災の被災者だった。約1年前に開催された追悼イベント。語り部として祖母の被災経験を伝えた藤原さんに、何人もの被災者が声をかけてくれた。「私たちの代わりに頼んだよ」。その言葉で葛藤が消えた。
託された使命を胸に昨年10月、高校の後輩や東日本大震災の被災地で出会った友人を誘い、希望の架け橋を立ち上げた。メンバーは震災後に生まれた15歳以上の22人。被災者からの聞き取りを進め、今後は小中学校での語り部活動も予定しているという。
東遊園地でこの日灯された紙灯籠には、園児や小学生たちのメッセージも刻まれていた。
「わたしも伝えたい」
藤原さんは「小さい仲間たちがたくさんいる。これからが継承のスタートライン」とうなずいた。