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ジャルジャル後藤淳 福徳に誘われNSC受験、笑い極めるため愚直に18年「ネタ考えているときが一番幸せ」

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産経新聞

ジャルジャル後藤淳平 1/1枚  ◆初の単独主演「出ないと後悔」

 「まったくの別物ですね。コントではアドリブもありますが、映画では脚本通りのセリフで、その人物になり切る。これがとても難しくて」

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 コントと芝居の違いを聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

 お笑いコンビ「ジャルジャル」の左側。笑いの頂点を目指す一方、ソロ活動にも精力的に取り組み、順次公開中の映画「ロックンロール・ストリップ」では主役を演じている。

 「相方とのW主演はありますが、1人は初めてで。プレッシャーもあったんですが、出ないと必ず後悔すると思い、出演を決意しました」

 メガホンを執ったのは作家、脚本家の木下半太。初監督作でもある。

 「原作は木下監督の自伝で、ほぼ実話。僕が芸人を始めた頃と重なる部分が多く、この役ならできるかもしれない。そう思ったんです」

 大阪でバーを営みながら、映画監督を夢見る劇団座長の勇太。夢は大きいが、劇団員にギャラも払えず、場末のストリップ劇場の前座を引き受け、騒動を巻き起こす…。そんな身勝手な男を熱演する。

 「下積み時代、根拠のない自信はあるが、何をしたらいいのか分からない。葛藤していた頃を思い出しましたね」

 ◆13回目で日本一「意地もあった」

 大阪で生まれ育った。高校時代、ラグビー部に入り、後にコンビを組む同級生、福徳秀介と出会う。関西大学に進学すると同時に2人でNSC(吉本総合芸能学院)大阪校を受けた。

 「最初に僕を誘ったのは福徳ですが、面接前になって『やっぱりやめよう』と言い出したので、『一度決めたんだからやろう』と説得しました。彼は入学願書に『後藤に誘われたから』と書いていたんですよ」

 19歳の「ジャルジャル」の誕生だ。

 当時と言えば、漫才日本一を決める「M-1グランプリ」が始まり、漫才ブームが再燃していたころ。NSC入学者は700人もいたが、後にM-1王者となる同期コンビ「銀シャリ」の橋本直は、「ジャルジャルは同期1の天才でした」と振り返る。

 橋本が指摘するように同期の中でいち早く頭角を現し、テレビで冠番組も持つようになったが、コント日本一を競う「キングオブコント」ではなぜか負け続ける。13回目の挑戦だった昨年、やっとその栄冠に輝いた。

 「なぜ13年も? 途中で辞める理由がなかった。ラグビー部出身で体育会系だという意地もありましたから」

 この真摯な姿勢に映画界が着目した。「ヒーローショー」(2010年)ではコンビで主演を務めることになる。重鎮、井筒和幸監督からは当然のように痛烈な洗礼を浴びたという。

 「何十回演じてもOKが出ず、同じシーンの撮り直し。スタッフに『これが映画現場なんですね』と聞いたら、『いや、井筒組だから。ここで鍛えられたらどんな現場も平気になるよ』と教えてくれたんです」

 以来、単独で「記憶にございません!」(三谷幸喜監督)や「銃」(武正晴監督)に出演。

 「監督の撮り方はそれぞれ違います。今回はセリフも多くて大変でしたが、木下監督がうれしそうに撮っていた。僕は座長として“笑顔の監督”を支えようと思いました」

 テレビの冠バラエティー番組で、街で若者をつかまえ、「今から実家へ行き、子供の頃のように母親に散髪してもらえ」と実行させる人気企画があった。4年前、この番組で父親と共演した。「ぼくは20歳まで父に散髪してもらっていたんです」と笑う。その父とは大阪府の吹田市長だ。

 芸風は奇想天外だが、まじめな努力家。それだけに周囲も一目置く。

 「福徳と2人、お酒もたばこもギャンブルもしません。笑いのネタを考えているときが一番幸せなんです」

 愚直に笑いを極める覚悟はコンビ結成時から18年、変わらない。(ペン・波多野康雅 カメラ・南雲都) 

 ■後藤淳平(ごとう・じゅんぺい) お笑い芸人、俳優。1984年3月20日生まれ。36歳。大阪府出身。2003年、福徳秀介とお笑いコンビ「ジャルジャル」を結成。06年、関西大学卒業。07年、「NHK新人演芸大賞」演芸部門で大賞受賞。「キングオブコント2020」王者。10年、映画「ヒーローショー」でコンビでW主演した。

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