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【話の肖像画】ブシロード会長、新日本プロレスオーナー・木谷高明(60)「飛ばし」でぬれぎぬ…秋田支店へ

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産経新聞

かつての山一証券本社ビル=平成9年9月、東京都中央区新川 1/1枚  《入社した山一証券の初任地で優秀な営業成績を挙げ、米国への社内留学を経て本社に抜擢(ばってき)されたのが平成元年、28歳のとき。「四大証券」の一角だった会社がバブル崩壊で自主廃業になる8年前だった》

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 本社で最初に配属された営業企画部で事件を起こしてしまいました。新人時代に配属された支店では、トップに直接提案すると面白がってくれて話が進んでいったのが、本社では企画書を読んでもらうのも大変。大企業はどこも一緒だと思いますが、縦割りで形式ばってくる。証券マンは相場が上昇して過去の高値を超える新高値の銘柄をお客さんに買っていただいているわけです。前例にないことに挑戦するのが証券市場なのに証券会社が前例主義ではおかしいと、若いからなおさらそう思っていました。

 ある日、提案した企画をめぐって部長と直談判した際、「このままでは他社に出し抜かれますよ」と部長の机をバーンとたたいたんです。すぐ異動でした。でもブシロードで僕がそんなことをやられたら、黙っているわけにはいきませんよね。机をたたいたあの行為は今でも反省しています。

 次の職場は金融法人トレーダー部。そこの上司は理解のある人で支店時代の成功体験を考慮していただき、「株式の勉強会」をお客さん向けに開催しました。1980年代後半は若者の勉強会ブームで、プライベートなある勉強会で政治家になる前の河野太郎さん(行政改革担当相)と知り合いになりました。明るい方でいろんなことを話しましたね。最近、河野さんがツイッターで「木谷さん、久しぶり」と書いていたので、僕が「ご無沙汰です」と返事をした。それを見たユーザーが「この2人はどういう仲なんだ」と話題にしていましたね。河野さんには僕の披露宴にも出席していただきました。

 《異動した平成3年ごろはバブル崩壊の真っただ中で会社の業績が悪化。社内では、含み損を抱えた有価証券を一時的に第三者に転売し、損失を隠す「飛ばし」の噂が流れていた》

 山一証券での「飛ばし」の疑惑が出始め、親しいジャーナリストから「山一を取材することになったので協力してください」と頼まれた。当然、「飛ばし」のことだと分かるじゃないですか。「協力はできません」と断りましたが、取材依頼の話を聞きつけた社内の誰かが「変に動いているやつがいるらしい」と言い始め、それが僕だという話になった。結局、他の人に取材して記事が掲載されることになり、これ以上疑われるのが嫌で「飛ばし」には触れないようにお願いして、企業分析のような記事にしてもらった。それでも、騒ぐ人は騒ぐ。そして秋田支店に異動になった。「こんな危険なやつは置いておけない」ということだったのでしょう。

 骨抜きの記事にして会社を救ったのに、と思うと悲しくて涙が止まらなかったですね。やめようかとも思ったんですが、良くしてくれた会社への最後の奉公と思って秋田支店に2年間勤務し、勤続10年になった6年に会社をやめました。9年に会社が自主廃業となったときはやはりというか、残念というか、複雑でしたね。元年12月に記録した3万9千円近い平均株価の史上最高値は誰もが異常な数字というのは分かっていた。しかし会社は、バブル崩壊で低迷している株価を「いつ回復するのか」とみていました。「株価はさらに下がる」と言ってはいけない空気が支配していたんです。(聞き手 尾崎豪一)

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