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【話の肖像画】ブシロード会長、新日本プロレスオーナー・木谷高明(60)「商売」ではなく「勝負」

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産経新聞

プロレスの聖地「後楽園ホール」にて(桐原正道撮影) 1/1枚  《新型コロナウイルスによる2度目の緊急事態宣言が出される直前の令和3年1月4、5日、新日本プロレスの新春東京ドーム大会はコロナ禍での縮小開催ながら2日間で観客約2万人が集まった。一時人気が低迷していた新日本プロレスは近年、オカダ・カズチカ、棚橋弘至、内藤哲也といったスター選手たちがリングで暴れまわり、活況を呈している。平成24年から新日本プロレス会長、オーナーとして、人気回復に奔走してきた》

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 小学生のときにタイガーマスクの漫画を読んでからプロレスのファンなんです。当時のレスラーたちの個性が際立っているところに魅(ひ)かれました。「人間発電所」(ブルーノ・サンマルチノ)とか「黒い呪術師」(アブドーラ・ザ・ブッチャー)、「燃える闘魂」(アントニオ猪木)など、キャッチフレーズをつけるじゃないですか。他のスポーツイベントにはなかったですよね。新日本プロレスのセルリアンブルーのマットは今でも僕にとって憧れの場所なんです。

 プロレスは1990年代が人気絶頂でしたが、2000年代に(K1やPRIDEなど他の)格闘技にお客さんを奪われてしまいました。僕が会長となったころの新日本プロレスは、個性的な選手たちにかつてのスター選手の映像などソフトはそろっていたのですが、あまりにファンが減って売り上げのめどが立たなかったんです。僕は人気回復の第一歩は「ファンの復帰」と思い、メディアでの露出やCM、広告などで集客に努めました。するといろいろな人が「実は新日本プロレスのファンだったんです」と言って会場に戻ってきてくれ、さらに友人を誘うなどで新しいファン層を広げてくれた。

 試合内容は面白かったし、選手同士の因縁関係など物語性もあった。さらに選手全員にツイッターをやってもらい、お客さんに話題も提供しました。フォロワーが1万人増えるたび、その選手にポケットマネーを出してね。選手もお客さんが入るとうれしいじゃないですか。今までと同じスタイルで試合をやっているんですが、お客さんが多いと選手の動きに色気やオーラが出てくるんです。

 《山一証券のエリート営業マンだったが、左遷によって退職、独立して創業者に。成功しかけたと思ったら事業拡大が裏目に出て追放となり、2度目の起業を経験した。若者向けのエンターテインメント会社「ブシロード」は令和2年度、連結で年商330億円を計上。人生のシナリオを何度も書きかえてきた》

 経営とは本当にしんどいので、僕の2度目の起業の場合は、急に退職せざるを得なくなり、あまり財産が手元に残らず、もう一度何かに賭けて元手を張るしかなかった。

 サラリーマンから独立して自分で会社を起こす。その後、成功するのか、失敗するのか。僕は「商売」ではなくて「勝負」がしたいと考えています。起業するときに原動力になるのは自己実現への強烈な思いです。「儲(もう)かりそうだ」ではなく、「やりたいことを覚悟を決めてやる」なのです。(聞き手 尾崎豪一)

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【プロフィル】木谷高明

 きだに・たかあき 昭和35年、金沢市生まれ。武蔵大学経済学部を卒業後、59年に山一証券入社。平成6年に10年勤めた同社を退社し、エンターテインメント事業を手掛ける「ブロッコリー」を設立、13年にJASDAQ上場を果たす。19年に事業拡大による経営不振で会社を追われ、「ブシロード」で再起業。24年には新日本プロレス会長に就任(現オーナー)。

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