記事詳細

【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村獅童(48)子供心に抱いた疎外感

更新
産経新聞

7歳のとき、叔父の中村嘉葎雄に隈(くま)取りをしてもらう 1/1枚  《七代目市川染五郎(十代目松本幸四郎)とは同学年で、9歳のとき、「盛綱陣屋(もりつなじんや)」で共演した。染五郎は「小四郎(こしろう)」という重要な役。かたや自身はせりふがひと言だけの「小三郎(こさぶろう)」だった》

<< 下に続く >>

 幸四郎さんは子供のころから優等生だった。息子の染五郎さん(八代目市川染五郎)もそうだけれど、無口でおとなしくて。楽屋でも他の子供たちのようにきゃっきゃっ騒いで走り回るようなことはなかったよね。実は幸四郎さんとは大人になるまで、あまりしゃべったことがなかったんですよ。

 仲が悪いというよりも、僕も一人っ子で人見知りだったし、大道具さんとか衣装屋の方とかに遊んでもらうことが多かった。歌舞伎の子役は普通、父親の楽屋に同室するのだけれど、僕にはその父親がいなかったから、よそのおうちのお弟子さんや殺陣師の方、裏方のみなさんと一緒に過ごすことが多かったんです。大人になり、お芝居をご一緒するようになってからはどんなことも話せるようになり、今を生きる同志であり、未来の歌舞伎を作る心の友だと思っています。

 《東京・用賀の祖母(三代目中村時蔵(ときぞう)夫人、小川ひな)の家にお盆や正月、先祖の命日など折々に触れ、親戚一同がよく集まった》

 祖母は昔の人だから、しつけとか本当に厳しかった。僕は両親と一緒に週に1回、日曜日になると、祖母の家に行っていたんだけれど、本当に極度に緊張しましたね。コチコチに緊張して食べているから、自宅に戻ってから吐いたこともありました。

 食べ方とか箸の持ち方とか本当、厳しかった。「舞台で物乞い役をやるときも、歌舞伎役者は品が良くないといけない」と祖母はよく言っていましたね。芝居がうまいとか下手ということよりも、まずは品格が大事だと。

 ある日、祖母の家で僕とあまり年の違わない親戚の子と一緒にガレージの車で運転手さんごっこをしていたら、大人たちから「危ない」って僕だけこっぴどく怒られて、家を飛び出したことがあるんですよ。小学校の低学年だったと思います。

 そのとき、祖母の家のお手伝いさんのサンダルを履いて、自分の家の方角に向かって泣きながら歩いていたら、交番のおまわりさんに確保された。みんな、親戚の子だけをかばって、僕だけを悪者にするから、疎外感というか、すごく寂しい気持ちになったんです。あのときの独特の気分は今もよく覚えていますよ。大人になってからも、そういう気分になることがたまにありました。そりゃ、そうですよね。無名時代が長かったから。

 父親が有名な歌舞伎役者さんの息子と一緒に京都のお店とかに行くじゃないですか。どこに行っても、彼はちやほやされるけど、僕は「その辺に座ってて」なんて言われ、いつもひとりぼっち。「なんだよ、この差は」みたいなのはあったかな。でも、それで卑屈になることはなかった。たぶん両親が愛情をたっぷり注いで育ててくれたからかな。自分が親になってみるとそれがよくわかりますよね。(聞き手 水沼啓子)

ピックアップ

    注目ニュース

      アクセスランキング

      iza! ソーシャルメディア公式アカウント

      • twitter
      • facebook
      • iza!を読む
      ×