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【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村獅童(48)付き人は「名物おっかさん」

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産経新聞

「妹背山婦女庭訓」で初舞台を踏む=昭和56年6月、東京・歌舞伎座 (C)松竹 1/1枚  《昭和56年6月、東京・歌舞伎座「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)・御殿」の豆腐買の娘おひろ役で二代目中村獅童を襲名、8歳で初舞台。「獅童」は祖父の三代目中村時蔵(ときぞう)の俳号に由来。子役時代は中村歌右衛門によく使ってもらった。58年、歌舞伎座「春日局」の竹千代役で松竹社長賞を受賞した》

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 初お目見えは7歳のときで、叔父たちと歌舞伎座の舞台に出ました。襲名の口上のときは叔父の中村錦之助(のちの萬屋(よろずや)錦之介)の隣に座って、観客のみなさまにごあいさつをしました。

 おやじは歌舞伎役者を廃業していたため、僕には番頭や弟子がいなかったので、代わりにおふくろが付き人の代わりとなってくれました。歌舞伎の“御曹司”だったらお弟子さんたちが何人もいるから、周りがみなやってくれるけれど、うちはおふくろが一人で絨毯(じゅうたん)を抱え、鏡台をかついで歌舞伎座(当時)の急な階段を上って、楽屋まで運んでくれていました。しかも着物姿で。

 「獅童ちゃんのお母さまは力持ち」なんて皮肉交じりに言う人もいたけれど、嫌な顔せずにいつも手伝ってくれた。公演が始まれば、初日から千秋楽まで劇場の入り口やロビーでお客さまにごあいさつをしたり、ごひいき筋へは贈答品をお持ちしたり、すべてをおふくろがやっていました。

 今でも松竹の方とか、おふくろのことを「名物おっかさん」「獅童ママ」として覚えていてくれています。おふくろが苦労していたのを知っているので、僕が昨秋、歌舞伎座で初めて古典の主役を演じたとき、ある松竹の方が僕には黙って、おふくろ(平成25年死去)の墓前に報告に行ってくれたほどです。お墓参りに行った家内がたまたま、その方とすれ違って分かったんです。

 《父親が歌舞伎役者でないため苦労することも多かった》

 中学1年生ごろの反抗期に、「あーあ、おやじが芝居をやってくれていたら」って、おやじに愚痴を言ったら、ぶっ飛ばされました。子役のときにも、すごく怒られたことがあった。歌舞伎座から家に戻って「きょうも一日疲れた」って言ったら、すごくたたかれてね。部屋に飾ってある僕の舞台写真とか全部片づけられて、「歌舞伎なんて、やめちまえ」って言われましたよ。

 「俺のおやじ(三代目中村時蔵)は舞台から帰ってきて、『疲れた』なんて言ったことは一度もない。好きでやっているんだろう。ガキのくせに疲れたなんて言うな」って。「世の中では御曹司とか言われるけれど、おまえ、お坊ちゃんだと思うなよ。おやじが歌舞伎役者じゃないんだから、なんの手助けもできないし、やりたきゃやればいいけれど、『疲れた』なんて言うんだったらやめろ」とすごいけんまくでした。子供のときにおやじからたたき込まれたから、今でも「疲れた」って言わないようにしていますよ。

 この年になってみると、あのときのおやじの気持ちが分かる気がする。おふくろは歌舞伎の舞台に出ている息子にかかりっきりになっているので、ちょっと焼きもちを焼いたのかなって。男って、みんなそういうところがあるんじゃないのかな。(聞き手 水沼啓子)

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