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【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村獅童(48)「萬屋の嫁」徹した母

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産経新聞

「大宮八幡宮」(東京都杉並区)に祖母と母親に抱かれてお宮参り 1/1枚  《初代中村獅童(当時の屋号は「播磨屋」)を廃業した父、小川三喜雄と母、陽子の長男として誕生。一人っ子で大切に育てられた》

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 母の生家は京都・伏見に代々続く酒屋で、学校は同志社に通っていましたから、京都生まれの京都育ち。子供は女ばかりだったので、長女(跡取り)である母は決まり切った人生がいやになって、夢を求めて東京に出てきたようです。母は22歳のとき、父とお見合い結婚をしました。

 母は歌舞伎のことなんて何一つ知らなかったのに、姑(しゅうとめ)(三代目中村時蔵の妻、小川ひな)から「萬屋の嫁」として徹底的に仕込まれたようです。梨園(りえん)の奥さまたちって、歌舞伎俳優である夫や息子、そして一門を支える裏方に徹しないといけないんですよ。父は三男でしたが、長男は二代目中村歌昇(かしょう)、次男は四代目中村時蔵(ときぞう)で、その嫁たちが一門を支えていました。

 昔は毎年6月に東京・歌舞伎座で「萬屋興行」があったんですよ。祖母からごひいき筋や企業などにごあいさつ回りをするときは「あなたが運転しなさい」と言われ、母が一日中、車の運転をしていましたね。

 母はとにかく忙しくて、いちいち美容院に行く時間もないということで、「それなら自分で髪を結えるようにしよう」って美容師の資格まで取ってしまった。母はとにかく支度が早かった。着物の着付けから頭をセットするまで15分とか20分ぐらいで仕上げていた。嫁として喜んでもらおうと、調理師の資格も取ったほどです。あいさつ回りのときには、義理の母親のために手作りのお弁当も用意していた。

 祖母はとにかく昔かたぎの厳しい人でしたね。母の着物姿を見て、「なんだね。変な取り合わせだね」と容赦なかった。ごひいき筋にごあいさつに伺って、嫁が何か粗相をしようものなら、先方とはにこやかに話しながら、テーブルの下で嫁の足をぎゅっと踏みつけるような人だった。

 母が怒られて悔しくて泣いているところを、小さいときによく見ましたよ。ちょっと理不尽じゃないかなと思うときもあった。母もきっと心の中では祖母のことを憎んでいるんだろうなと思って、一度、お袋に「おばあちゃまのこと、嫌いでしょう? 僕のせいで頭を下げたりして、いい思いしないでしょう?」って聞いたことがあるんですよ。そうしたら、「心の底から尊敬している。大好きよ」って。本当に愛していました。祖母の人柄なのかな。

 《6歳のとき、日本舞踊や長唄を習い始める》

 父も母も、僕に歌舞伎をやらせようという気はなかったんです。僕が子供のころ、祖母の家には週に1回、毎週日曜日に家族そろって行っていたので、そのときに「僕も歌舞伎をやりたい」と、祖母に頼みました。

 祖母は「その前に踊りと長唄と三味線のお稽古をしないといけないから、お師匠さんのところにごあいさつに行きましょうね」と、最初のごあいさつのときだけ付き添ってくれました。そのあとは、定期券を首からぶら下げて一人で行っていました。歌舞伎座の舞台があるときも、地下鉄で通っていました。(聞き手 水沼啓子)

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