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【話の肖像画】「世界の盗塁王」福本豊(73)「外でやろう」障害者野球にも力

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産経新聞

(恵守乾撮影) 1/1枚  ■「外でやろう」障害者野球にも力

 《昭和63年のシーズンを最後に現役を引退。その後、阪急から球団名が変わったオリックスで打撃コーチと2軍監督を務め、平成10年にはコーチとして阪神に招聘(しょうへい)された》

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 阪神では吉田義男さんに声を掛けてもらい、最初の年は打撃コーチを、翌年はノムさん(野村克也さん)の下で守備走塁コーチを務めました。吉田さんの誘いの前に巨人が「守備走塁コーチ」として打診してくれていましたが、吉田さんからは「打撃コーチ」を要請していただいた。それがうれしかった。西本幸雄さんに入団当時に教えてもらった「西本型」の打撃を若い選手たちへ伝えたいと思いました。僕もこうして小柄でもやれたんやから、ごっつい選手がそろっている阪神はもっと打てるとね。

 あのころはひーやん(桧山進次郎)や新庄(剛志)らがいて、中日からアロンゾ・パウエルや矢野(輝弘、後に燿大(あきひろ))も入団してきた。新庄は何でもできた。足は速い、肩は強い、自信も持っている。そういうものをみな持っていて、こうやでああやでと説明したらパッとできる。ちゃらんぽらんに見えていたかもしれないけど、考えてパッとやる。「フクさん、僕すぐできるでしょ」と言うから、僕は「できるから、それをやり続けえ」と言ってました。吉田監督のときは阪神は打てなくて、ボールばかり振る。止まったらええねん。打ちにいってやめられる技術ができたらまた変わると言い続けました。どんどん選手が変わっていく姿を見るのは楽しかった。

 《日本身体障害者野球連盟の名誉理事長を務める。長年、関わってきた障害者野球は国際大会が開かれるまでになった。きっかけは阪急が入団1年目の選手の社会奉仕活動として行ってきた特別支援学校の慰問だった》

 最初の交流で子供たちは名前も分からない新人の僕に「来年も来てなー。ずっと来てなー」と言ってくれた。「阪急におったらずっと来るから」と答えたんです。それからコーチ時代も含めて23年間、通いました。あの子たちは健常者と同じように野球をしたい。最初は体育館の中でプレーしていたんですが、いっそ外でやろうと誘いました。つえをついてやる子もいたし、手のない子も義足の子もいる。みんな勇気がいったと思いますが、楽しそうにプレーしてくれた。そのうち卒業生や施設を出た子たちが地元に帰り、それぞれがチームを作って大会をしようという流れになりました。彼らのプレーは遠くから見ると、ハンディキャップがないようにみえるんです。「野球をやれるから、頑張れる」と言う。プロのファームの選手に何かを感じてもらいたくて、彼らのプレーを見てもらいたかった。これは日にちが合わなかったんやけどね。

 《新型コロナウイルスの収束が待たれるなか、プロ野球の開幕が近づいている》

 もし僕がまだ現役だったら、オフはやっぱり魚釣りに行っていたかな。体幹を鍛えるためにね。船に乗ると、波を見ながら膝を使って飛ばされないようにずっと立っておくんですが、足はパンパンに張りますよ。変わったトレーニングですけど、これはコロナ禍でもできるでしょう。今年もソフトバンクの周東佑京(しゅうとう・うきょう)選手が楽しみです。昨シーズンは僕の11試合連続盗塁の日本記録を46年ぶりに更新したからね。まずはシーズン100盗塁を目指してほしい。盗塁の魅力を伝えてくれる。ものすごく楽しみです。(聞き手 嶋田知加子)=明日から歌舞伎俳優、中村獅童さん

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