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【話の肖像画】「世界の盗塁王」福本豊(73)猛抗議…辞める気やった監督

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産経新聞

猛抗議する阪急の上田利治監督(右から2人目) =昭和53年10月、後楽園球場 1/1枚  ■猛抗議…辞める気やった監督

 《昭和52年に日本シリーズ3連覇を達成した阪急(現・オリックス)は翌53年、パ・リーグ初となる4連覇を果たす。シリーズ4連覇に死角なしと思われていた阪急に、伏兵が立ちふさがった》

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 この年のヤクルトとの日本シリーズでよく覚えているのは、2勝1敗で迎えた西宮球場での第4戦やね。シーズン中に完全試合を達成したゆうちゃん(今井雄太郎さん)が先発して1点リードの九回表2死一塁。あと1人を打ち取れば4連覇に王手というところで、ゆうちゃんが投じた2球目のカーブを相手のデーブ・ヒルトンがポッカーンと打った。左翼への逆転2ラン。「ヒルトンはカーブを打つから、放ったらあかん」とミーティングで言われていたのに、カーブを投げてしもうて、ほんまに打たれたんです。

 あれで流れが変わったなあ。あの試合はヤマ(山田久志投手)がリリーフでピシャッといける準備をしていたけど、上田利治監督はゆうちゃんを続投させた。試合はそのまま負けて、2勝2敗に持ち込まれた。

 《この試合を機に、シリーズは本塁打が試合の勝敗を左右する展開となっていく。第5戦は大杉勝男選手の3ランでヤクルトが、第6戦は4本塁打で阪急が勝って最終戦にもつれ込んだ。後楽園球場で行われたこの試合、ヤクルトの大杉選手が放った大飛球が両チームの明暗を分けることになる》

 最終戦は五回にヤクルトが1点を先制。さらに六回1死無走者で大杉さんの放った打球が左翼ポールの上を超えていき、これが本塁打と判定された。監督はベンチを飛び出して、ポールの外側を通過したファウルだと線審に詰め寄った。僕の守備位置からは見えへんかったけど、スタンドの上の方にいたお客さんは「フクさん、あれ、ファウル、ファウルやで!」と叫んでました。それで僕も「ファウルなんやな」と思いましたけど。(監督は)野手全員をベンチに引き揚げさせ、粘って粘って抗議を続け、その間に投手陣の体は冷えてパンクです。

 監督が抗議し始めてから10分ぐらいたったころ、僕らはみんなで「ひっくり返らへんのやから、試合を早(はよ)うしましょうよ、もう」と監督に言うたんです。でも監督は「いや、やらん」と全然聞く気がない。ついにはコミッショナーや阪急のオーナー代行も出てきて「試合をやってくれ」と監督を説得し続けるという、大変なことになりました。僕らもそばにいましたから、やり取りは全部丸聞こえでした。

 《上田監督の抗議は1時間19分にも及んだ》

 監督はもう辞める気でいたようです(この試合後にマスコミに辞任表明)。相手が広岡(達朗)監督やったから余計やね。細かいことはわからないけど、監督は広岡さんをライバル視してはりましたから。でもあのまま、ちょっともめただけですぐ試合をやっていれば流れは変わっていましたよ。野球は何が起こるかわからないんだから。もちろん判定は覆らず、さすがにしらけました。試合は代わった正志(松本投手)がチャーリー・マニエルにいきなり一発を浴び、八回には大杉さんがヤマから2打席連続となるソロを放ち、0-4で負け。抗議のあとでポコポコッといかれて、「あー、終わった」みたいな感じやった。でもまあ、ファウルどうのこうのはあったけど、僕の中ではやっぱり第4戦やね。勝っている試合やったから。(聞き手 嶋田知加子)

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