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【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊(73)黄金時代を支えた練習

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産経新聞

昭和51年の日本シリーズで最優秀選手賞を獲得した 1/1枚  ■黄金時代を支えた練習

 《昭和51年の日本シリーズで、宿願だった「巨人を倒して日本一」を達成、自身は7試合で27打数11安打、打率4割7厘で最優秀選手賞(MVP)を獲得した。敢闘賞は同じトップバッターの巨人・柴田勲氏だった》

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 巨人には負けてばっかりやったから、みんなこれまでやってきた思いがバーッと出た。過去にシリーズで5連敗していたのがやっとの思いで倒したんやからね。その日は思い切りどんちゃん騒ぎをしました。東京の宿舎ホテルで思い切りビールかけをやりました。1階のレストランの床に水たまりならぬビールたまりができていた。あとから大変やったんちゃうかな。修理代もかかったやろうね。ゆうちゃん(今井雄太郎さん)は酒だるの中に入っていました。

 僕がMVPをもらったけど、「えっ、取れたの?」という感じで申し訳ない気がしました。足立(光宏)さんは3試合で2勝したし、ウイリアムスも本塁打を含む計11安打で盗塁も決めている。僕はランナーには出たけど、そんなに貢献したという印象はないです。柴田さんのことは意識していた。セ・リーグ盗塁王で有名やったからね。「赤い手袋」とよく新聞に書かれていたので、僕は球団から言われて「青い手袋」をはめ始めたこともあったけど、新聞が書いてくれないんでやめました。柴田さんの数字は新聞でよく見ていましたんで、数で勝ったろうとは思っていました。柴田さんがトータル3個盗塁したら、こっちは5個したろうとか。

 《日本シリーズ連覇で阪急(現・オリックス)は全盛期を迎え、翌52年も巨人を倒して3連覇を達成する》

 阪急は次も勝ちにいかんとあかん、勝ちを続けていかなあかんという思いでした。52年はV3を達成したけど、今度は自分たちが目標とされます。上田利治監督はずっと、「よそはみんな、うちを倒しにかかってくるから、それ以上に(練習を)やらなあかん。安心しとったらあかん」と言い続けていました。

 キャンプのときからいろいろやっていましたよ。年に1回あるかないかのプレーの練習を、うちはわりと早くからしていました。当時の西宮球場は内野フェンスが一部でせり出していて、ファウルエリアの一部が本塁から見えなかった。そこにフライが上がると、野手は打球を捕っても本塁に直接送球できない。そこで相手の三塁走者のタッチアップでの本塁生還を防ごうと、一塁側のファウルフライがそこに飛んだら二塁手を中継させて本塁に送球する練習もした。実際に使うことはなかったけどね。他にも無死もしくは1死一、二塁の場面を想定し、浅い外野フライを僕がわざとポテンと前に落とし、二塁に素早く送って一塁走者をフォースアウトにし、さらに飛び出した二塁走者もタッチアウトにする併殺練習もした。これは実際に試合で1回あったけど、打球がどうはねるかわからんから、あかんかったね。人工芝やからポーンとはねたりするでしょ。何が起こるか分からへんから、そういうことをやっておくということです。(聞き手 嶋田知加子)

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