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【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊(73)日本一にはなったけど…

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産経新聞

初の日本一を勝ち取り、祝勝会でまわりからビールの集中攻撃を受ける(中央)=昭和50年11月、西宮球場 1/1枚  《入団7年目、昭和50年のシーズンは6度目のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズを迎えた。阪急(現・オリックス)は前任の西本幸雄監督のもと、V9時代の巨人に5度、日本一を阻まれた。上田利治監督の就任2年目となるこの年、初の日本一を争う相手はセ・リーグ初制覇で勢いに乗る広島だった》

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 チームは3年ぶりの日本シリーズ進出を果たしましたが、相手は「赤ヘル旋風」を巻き起こした広島でした。僕らは毎シーズン、目標は「打倒巨人」やったんで、正直に言えば「なんや巨人と違うのか」という感じでした。まあ、ペナントレースで今年の巨人はあかんなと思っていましたし、相手は広島やというのは分かってましたが。

 それに広島と阪急は何かと「つながり」があったんです。イケ(長池徳二、後に徳士)さんは広島の山本浩二(浩司)さんと法政大の先輩・後輩やし、上田監督も広島の選手、コーチでしたしね。今のように交流戦もないから、広島に行ったら浩二さんらと食事してました。違和感もなかったし、なんや紅白戦みたいな感じ。チームも足を使うゲーム運びが似ていたから、兄弟球団みたいやった。

 《阪急は本拠地・西宮球場で迎えた初戦を引き分けたものの、2連勝で優位に。そして赤一色で染まった敵地・広島市民球場での第4戦は、壮絶な幕切れとなった》

 シリーズの流れは第4戦で決まったように思えた。この試合は3-3の同点のまま延長十三回までもつれた。チームはこの回、1点を挙げてリードを奪ったが、その裏、高志(山口投手)が2死満塁から佐野嘉幸さんに中前適時打を浴びた。あと1人というところで同点となり、さらに逆転サヨナラの二塁走者が三塁を回ったのが目に入った。僕は目の前で弾んだ打球を捕球してバックホーム、本塁寸前でタッチアウトに。4時間49分に及ぶ試合はそのまま引き分けた。

 この日本シリーズは最終的に4勝2分け。球団初の日本一になったけど、やっぱり心は「打倒巨人」。ビールかけもしたけど、どんちゃん騒ぎもほとんどせず、さっと終わりました。

 《悲願の日本一を勝ち取っても、翌51年の本拠地の観客動員数は年間44万人弱と横ばいだった。「閑古鳥が鳴く」と称された当時の西宮球場は、スタンドに響くヤジも名物だった》

 今はどこの球場もお客さんが入ってくれるけど、当時は阪神もあまり入ってなかったんちゃうかな。ほんま、お客さんが入ったのは巨人-阪神戦だけです。(3年連続日本一を達成した後の)53年のシーズンは80万人近いお客さんが入ってくれたけど、現実は甘くないよね。お客さんが少ないからヤジはしっかりと聞こえてました。ヤジるために球場に来ていた人もいはったし、スタンドがヤジでどっと沸いた。

 下手な漫才を聞いているよりよかったですよ。僕の場合は「おい福本、じっとしとけー。ちょろちょろするな、アブラムシー」とか(小柄な体格をヤジられ)「子供ははよ家に帰らなー」。笑かしてくれる。ランナーも笑っている。少しも腹は立ちませんでした。必死に応援してくれているんやもんね。相手ファンは活躍されると嫌やから、そんなこと言うんやけど、安全パイと思ったら何も言わへん。ほんま、言われてなんぼなんです。(聞き手 嶋田知加子)

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