記事詳細

【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊(73)クマさんと作った盗塁記録

更新
産経新聞

コーチ時代の大熊忠義さん(右)と  1/1枚  《阪急(現・オリックス)に入団して6年目、昭和49年のシーズン。悲願の初の日本一を目指して11年間、阪急を率いた闘将・西本幸雄監督から、上田利治監督に交代した。新体制のもと、5年連続盗塁王で不動のトップバッターとなった自身はかけがえのないパートナーとコンビを組むことになる》

<< 下に続く >>

 やっぱりクマさん(大熊忠義さん)やね。クマさんは浪商高校出身で河内の大先輩やし、入団したときからいろいろ面倒をみてもらいました。遠征にいったら「飯食いに行くぞ」とかね。特に博多ではよく食事に連れていってもらいました。クマさんはプロ野球選手として知っておかなければならないことはもちろん、野球だけじゃなく、人との付き合い方とかいろいろ注意してくれ、多くのことが身に付きました。

 クマさんとのコンビが定着した50年のある試合でした。僕は盗塁で完璧なスタートが切れたんやけど、クマさんが投球に手を出してファウルになった。そこで試合後、「あの球を見送ってくれたら、いけてましたで。二塁は完全にセーフやったのに」と言うてしまったんです。連続盗塁王のキャリアで天狗(てんぐ)になりかけていたんでしょう。「走るのは俺や」みたいな感じで。この言葉にクマさんは怒らず、静かに「分かった。これからはお前が勝手にやれ。俺は2番やめるわ」と。それからクマさんは5番か6番を打ちはり、監督は強打のバーニー・ウイリアムスを2番にした。クマさんが2番を外れて1週間ぐらい、僕はランナーに出るけど盗塁できへんかった。僕が塁に出ると、相手バッテリーの投球は盗塁阻止のため、たいていストレート。ウイリアムスは当然、そのストレートを狙って打つ。結果、僕が走ったらウイリアムスはヒットかファウルばっかりに。クマさんはチームの勝敗を見極めて、僕の盗塁を援護してくれていたんだ、と痛感しましたね。

 1週間後、クマさんに「すんませんでした。2番を打ってください」と謝りに行きました。クマさんからは「分かったか」と。ずっと面倒みてもらっていたから、僕は余計に言いやすかった。面倒をそんなにみてもらってない先輩やったら、「またお願いします」とは言いづらかったのかもしれません。クマさんから教えてもらったのは「足が速いだけではだめ。盗塁はひとりではできん。協力してもらってなんぼや」ということ。クマさんは自分のボールカウントを悪くしてでも、追い込まれるまでは僕の盗塁をサポートしてくれていましたね。

 《大熊さんとの1、2番コンビを組んだ4年間、みるみるうちに盗塁を重ね、当時の日本記録だった南海・広瀬叔功(よしのり)氏の通算596盗塁を塗り替えた》

 プロ2年目に盗塁王を取った後、「ここは走るな」というストップサイン以外はベンチからの指示はなくなってました。僕にとって何でもできる状況なので、気心知れたクマさんとは2人にしか分からないサインを決めていました。自由気ままやけど実に綿密。それがどんどん進化していって、いつの間にか、打席に立って素振りしているクマさんとアイコンタクトだけで「会話」できるようになってました。よくプロ野球界の名コンビは誰か、という話になるけど、僕はいつも今もクマさんとの1、2番コンビがどこよりも上やと言っています。絶対にそうやと思うから。僕は盗塁の世界記録を樹立しましたが、僕に言わせればクマさんこそ、「世界一の2番バッター」なんです。(聞き手 嶋田知加子)

ピックアップ

    注目ニュース

      アクセスランキング

      iza! ソーシャルメディア公式アカウント

      • twitter
      • facebook
      • iza!を読む
      ×