記事詳細

【話の肖像画】「世界の盗塁王」福本豊(73) 1年目の優勝「なんか別もん」

更新
産経新聞

パ・リーグ3連覇を決め、西本幸雄監督を胴上げする阪急ナイン =昭和44年10月、藤井寺球場 1/1枚  ■1年目の優勝「なんか別もん」

 《昭和44年の入団1年目のシーズン、阪急(現・オリックス)は西本幸雄監督が就任7年目で、米田哲也、梶本隆夫、足立光宏の主力投手と長池徳二(徳士)を中心に攻撃陣も充実し、パ・リーグを2連覇中だった。俊足を買われて開幕戦から1軍ベンチに入ったが、この年は4盗塁。出場機会を得るため、打撃に課題を感じていた》

<< 下に続く >>

 夏頃までは打球が二塁手の頭すら越えんかった。オールスター戦直前に、監督から「一度ファームに行って盗塁の練習をしてこい」と言われた。でも盗塁は1人で練習できないから、打撃練習ばっかりやってましたけど。1軍の試合に出ても代走や守備固めが主で、打席は投手のところでの交代でなかなかチャンスがなかったからね。2軍にいたのは20日間ぐらいやったと思います。監督は本当に盗塁練習をさせようと思っていたと思いますが、打撃ばかり練習した。僕は体が小さくてパンチ力がないから、2軍監督が「体重移動をうまく使って打て」と、よくティー打撃のトスを放ってくれました。当時の王(貞治)さんのように「イチ、ニィのー、サン」というリズムで、足を上げ、後ろに引いて、ステップしてドーンと打つ。「のー」をつけて、ポイントとタイミングを体にたたきこませる。急にガンガン変わったことはなかったけれど、知らないうちにタイミングとリズムは覚えました。

 でもこの2軍での練習のおかげか、1年目には2打席連続本塁打を打っているんです。1軍に呼び戻された秋ごろ、京都・西京極球場の東映戦で、まずは代打で出て森安(敏明)からバックスクリーンへ。そのまま守りに入って、今度は宮崎(昭二)さんから右翼ポール際に。もっともこの年の本塁打はこの2本だけ。翌年はオープン戦で打撃成績がよかったんで、新聞は「今年は1番・センター」と書いてくれた。それを読んで、ひょっとしたら…と思いましたが、開幕したらちゃんとベンチに座っとった。5月にレギュラー外野手の矢野(清)さんが腱鞘炎(けんしょうえん)になって、そのときから使ってもろうたんです。

 《1年目のシーズン、阪急は優勝を勝ち取ってリーグ3連覇を成し遂げた。しかし日本シリーズでは強敵が待っていた。シリーズ4連覇中で、後にV9を達成する巨人だ》

 このシーズンは1軍に入れてもらうことが一番やったんで、バリバリ活躍したというのはなかったからね。いつ使ってもらえるか分からないけど、使ってもらったときはドキドキしながら一生懸命プレーする。そういうのやったから、この優勝はあまり覚えてないんよね。3連覇の瞬間も、その場に集まっているだけやった。なんか別もんやったね。

 代走で出場した巨人との日本シリーズも、ベンチから金田(正一)さんの投球姿を見て、「あー、金田さんやー」とテレビで見ているみたいやった。長嶋(茂雄)さんにしてもそうやったね。そういえば先日、テレビ番組でホリ(堀内恒夫さん)の特集をやっていたんで見ていたら、44年の日本シリーズで僕が走ってアウトになったシーンが流れたんです。背番号「40」だったから「これ、僕と違うの?」とびっくり。初めての映像で新鮮やったが、どの場面か覚えてなかった。1年目の日本シリーズでは何やよう分からんと、ランナーをやっていたんでしょうね。(聞き手 嶋田知加子)

ピックアップ

    注目ニュース

      アクセスランキング

      iza! ソーシャルメディア公式アカウント

      • twitter
      • facebook
      • iza!を読む
      ×