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【話の肖像画】「世界の盗塁王」福本豊(73) プロ初盗塁にも西本監督の雷

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産経新聞

阪急時代の西本幸雄監督=昭和44年6月 1/1枚  ■プロ初盗塁にも西本監督の雷

 《昭和43年秋のドラフトで7位指名された阪急(現・オリックス)と契約し、プロ野球選手として第一歩を踏み出した。翌44年1月、初めて参加した自主トレーニングは衝撃だった》

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 チームに初めて参加したのは当時、毎年1月10日ぐらいから始まっていた合同の自主練習でした。レギュラーメンバーは春季キャンプ直前からの参加で、僕は同期入団で社会人野球でもチームメートだった加藤秀司(英司)と「1軍の選手はええなあ」とたわいないことを語り合っていました。練習が始まると1軍半、2軍の選手たちはウオーミングアップやキャッチボールを終えた後、みんなでアーム式の打撃マシンを打ちにいく。マシンは当時、2台か3台しかなく、並んで待っているんやけど、先輩たちがマシンを打ち始めた瞬間、「これは無理や」と思いました。力強く伸びる打球の速さと「カーンッ」という鋭い打球音。えげつなかった。加藤とともに「えらいとこ入ったなあ」とあぜんとしました。自分たちはマシンを打ったこともなく、1球もまともに当たりません。ひときわすごかった選手について、球団の人に「あの人は1軍ですか」と尋ねたら、「いや、2軍」と返ってきた。「えっ、あの人が2軍!」と驚いたのが、ぶーちゃん(後に通算代打本塁打27本の世界記録を樹立した高井保弘さん)でした。とにかく「えらいところにきた。これはもたんな」というのが第一印象でした。

 初日から西本(幸雄)監督の雷も落ちました。「何ちゅう格好をしとんのじゃ!」。プロ初日からいきなり打たされるとは思ってもみなかったので、僕と加藤は練習用のアップシューズを履いていて、スパイクに履き替えてなかったんです。

 《俊足を買われて1年目の開幕戦でベンチ入りを果たした。通算1065盗塁は失敗から始まった》

 初めて盗塁を仕掛けたときも監督に叱られました。4月12日、西宮球場での東映(現・日本ハム)との開幕戦でリードした場面の八回2死、出塁したイケさん(長池徳二=徳士=さん)の代走で、「ええか、走ってこい。盗塁せえ。いろいろする(ベンチや三塁コーチャーがサインを出す)けど関係ないからな」と送り出されたんです。だけど体がこわばって動けなかった。牽制(けんせい)がくるんちゃうかな、セーフにならんとあかんから、ええスタートを切らなあかんし…と考えてしまって、2ストライク2ボールか1ボールあたりで「もう、行けー」と半ばやけくそでスタート。“楽勝”でアウトでした。ベンチに帰ったら、監督から「なんで走れへんねん!」といきなり雷でした。「いや、走ったけど…」と言う僕に「はよ走れ(もっと早いボールカウントから)ということや!」と。

 それでも、監督は次の日も僕を使ってくれました。東映との一戦で、阪急が勝っていた場面でまた代走で出た。今度は3球目で思い切って走ってセーフになった。捕手からの二塁送球がちょっとそれたんです。これがプロ初盗塁でした。だけど、ベンチに帰って叱られた。「3球も4球もかかったらあかんのや!」と。監督は1球目でアウトになっても怒らへんのです。「お前は走る練習で行かすんやから、なんで行かへんねん」と。そういうことやったんです。(聞き手 嶋田知加子)

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