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【話の肖像画】「世界の盗塁王」福本豊(73) 阪急指名、新聞に載ってるで

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産経新聞

昭和43年11月に行われた第4回ドラフト会議 1/1枚  ■阪急指名、新聞に載ってるで

 《社会人野球の松下電器(現・パナソニック)に入って3年目となる昭和43年秋のドラフト会議で、阪急(現・オリックス)から7位指名を受けた》

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 ドラフト当日は会社の上司から「練習終わったら、帰りい」と言われ、「ああ、きょうはドラフトか」と思ったぐらい。その日は大阪・京橋をぶらぶらしてました。同僚の社会人2年目の加藤秀司(英司)がプロに入るというのはわかってましたし、ドラフト前のスポーツ紙には福本という名前は載っていませんでした。近鉄のスカウトが住所と電話番号を教えてほしいと言ってくれましたが、それっきり。ドラフトもプロ野球も全然興味ありませんでした。

 (自分のドラフト指名は)翌日のスポーツ紙で知ったんです。先輩に「おーい、名前が載ってるで。阪急から指名されてる」と言われて、それで初めて気づいた。確かに小さく名前が載ってました。

 でも、1週間、2週間たっても何の音沙汰もない。「何か言うてきたか?」と聞く先輩に、「絶対におちょくりですわ」と答えていたんです。それでも先輩が「ちょっと本社に聞きに行こうや」と言うので、行ってみると、「実は球団から連絡はきているが、お前とは会わさん。お前は松下電器に残らなあかん」と言われました。

 松下電器には当時、加藤(阪急2位)や岡田(光雄、近鉄3位)らがいて、プロ入りで一気にチームから抜けてしまう。僕は野手で体も小さかったから「お前はプロは無理やから会社で断ってるんや」と言われました。全然ショックはありませんでしたが、「行くと決まってないんやから、会わせてください。話を聞くぐらいええやないですか」とお願いして、球団の方と会えることになりました。

 《よもやのプロ入りへ》

 (球団からは)ええ話ばかり聞かされました。しかし上司に報告すると「入るまでは、ええことばかり言うねん」と。最初に提示された契約金と年俸も「ちょっと安いから、松下にいる方がええよ」と言ってくれる人が多くいました。次の交渉でそんな思いも伝えると、契約金750万円、年俸180万円になり、まあ安くもなかったから、これやったらええかと。それに、交渉でいっしょに飯を食っているうちに「いっぺん勝負してみようかな」という気持ちになった。交渉は3回ぐらいあったかな。ステーキハウスで肉も食べさせてもらいました。

 おやじ(豊次さん)は「好きなようにせえ。行きたかったら行ったらええ」と言ってくれました。自分では、勝負しにいくと決めたからには「3年であかんかったら辞める」と思っていましたし、おやじにそう伝えました。そして今度は「行ったらあかん」という会社の説得です。「厳しいぞ」と言う当時の監督に、「十分分かっていますけど、何が何でもプロに行かせてください」と頼み込みました。

 それがプロでは1年目からベンチに入れてもろうて、なんか知らんけど3年たっても辞めなくてようなった。「野球はまず守りから。守れたら1軍ベンチに入れてもらえる。ええか。お前には足がある。他のやつに勝っているんや。あとは打つ方だけや」。こう言ってくれたのは当時、阪急の監督だった西本(幸雄)さんでした。(聞き手 嶋田知加子)

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