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【話の肖像画】「世界の盗塁王」福本豊(73) 監督にほめられ俄然やる気に

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産経新聞

プロ野球評論家の福本豊さん=兵庫県西宮市(恵守乾撮影) 1/1枚  ■監督にほめられ俄然(がぜん)やる気に

 《「私学7強」の強豪、大鉄高校(現・阪南大高)に進学したが、最初は野球とは無縁の生活だった》

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 高校入学から1週間ぐらいはぶらぶらしていました。電車通学で天王寺駅で乗り換えるんですが、ここには当時はやんちゃも多くて、こりゃあかんなと。ぶらぶらしとったらおかしくなると思いました。

 通学の電車が大和川を渡るとき、車窓から野球部の練習が見えるんです。「1年生がぎょうさんおるなあ」と思いながら見ているうちに、いつの間にか野球部に行こうかな、と毎日考えるようになった。それで、おやじ(豊次さん)に「野球部に入ってええかな」と聞いた。おやじは「3年間、ケツ割るなよ。最後までやるんなら入れ」と言ってくれた。「どうせ球拾いやろ」みたいなことも言うてましたけど。

 僕も「野球をやっていれば横道にそれない」と思うたんです。やっぱり動いてるのが好きやったから、ユニホームを着て球拾いでも何でもええからちょろちょろしといた方がええとね。レギュラーになれるとか、思っていなかった。もちろん野球ができたらいいんだけど、体がごっついのも多かったし、スカウトされた選手もおる。ほんまに「野球部に所属しています」だけでええ、みたいな感じやった。入学から1週間後に飛び込みで「野球部に入れてください」とマネジャーに言いました。「野球していたんか」「どこを守っていたのか」とか聞かれましたが、中学時代は補欠だったので、書類には当時は一番へたな選手が守っていたライト(右翼手)と書きました。

 《運命を変えたのは、当時の野球部監督、網智(あみ・さとし)さんの“勘違い”だった》

 当時は1年生だけで130人ぐらいおったんじゃないかな。早朝練習に来られる者は来いということなので、始発電車に乗って朝6時には練習に行っていました。ここで1人5本ずつハーフバッティングを打たせてくれるんです。それを後ろで見ていた監督が、なんと「おい、福本。お前、ミートうまいな」と言ってくれた。「えーっ、うそでしょ」と喜んじゃって。野球でほめられたのは生まれて初めてで、しかも名前まで呼ばれて、すごくうれしかった。でもすぐ「あっ、監督は僕の名前を知っていたわけじゃなく、練習着に名前が書いてあったからだ」と気が付いたんですけどね。

 昼からは守りの練習で、2、3年生の手伝いです。僕は書類に記入したからライトに入り、内野ゴロの練習で送球がそれると、自分がボールを拾いに行かんとあかん。わざわざ取りに行くのがイヤで、勝手に一塁手の後ろにベースカバーに入っとったんです。そしたら、また監督が「あいつは野球をよう知っとる。言わんでもちゃんとカバーに行っとる」とほめてくれた。いや、そうじゃなくて、僕はほんとに野球を知らん。ボールを拾いに行くんやったら、先に動いとったらええやんみたいな感じやったけど、勝手にやっとったことが、えらいほめられたんです。

 これでもうむちゃくちゃ、自主練習に気合が入りましたね。同じ中学のレギュラー選手で他の高校の野球部に呼ばれて行ったヤツらも近所におり、帰宅後はみんなで集まって風呂に行くんです。でもその前に公園で練習する。そこで「先輩はああ言いよった」とか、「プロはこうしよった」とか情報交換したり、誰がやったのか知らんけど柱にダンプカーの大きなタイヤがくくりつけてあったんで、それをバットでたたいて打撃練習したりね。監督のおかげで練習に前向きになり、野球人生が本当に変わりました。(聞き手 嶋田知加子)

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