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【話の肖像画】「世界の盗塁王」福本豊(73) うまかった、おやじのラーメン

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産経新聞

プロ野球評論家の福本豊さん=兵庫県西宮市(恵守乾撮影) 1/1枚  ■うまかった、おやじのラーメン

 《昭和22年、大阪市生野区に3人兄弟の長男として生まれた》

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 おやじ(豊次(とよじ)さん)は気が短かったけど、僕には優しかったですね。いたずらは怒らんかったけど、悪いことをしたときは、ごっついしばかれた。ご近所の庭で柿泥棒をしたときはえらい怒られました。あと小学校1、2年生のときかな、駄菓子屋でお菓子をへーかまして(盗んで)帰ったら、あとでおやじが金払いに行っとった。殴りはせんかったが、後ですごく怒られましたね。おやじはこれをするな、あれをするなとは言わず、好きなことをさせてくれました。

 《豊次さんは海軍の潜水艦乗りとして従軍し、最前線で戦っていた》

 軍隊生活は厳しかったようです。「潜水艦に乗ったらいつも『これで終わりや』と思って戦場に出ていた。怖かった」と言っていました。一度潜ったら、いつ爆撃に遭うか分からん。ええ潜水艦じゃなかったから、ミシミシと音を立てて水が入ってきたり、水圧でどこかがつぶれたりしたと言っていましたね。ある夜、どこかの港で潜水艦に水や食料を積んでいたら、隣に停留していた潜水艦がアメリカの潜水艦か何かに攻撃されたのか、すぐそばでドーンと爆発したこともあったと話していました。「隣の潜水艦で積み込み作業をしていたら俺らはおらへんかった」と。詳しくは聞いていませんが、終戦直前には特攻隊員の乗る船でフィリピン沖に出撃したようです。

 《死線をくぐりぬけて復員した豊次さんは、戦後の混乱期、苦労して家族を支えた》

 おやじは戦後しばらく、行商をしており、トランプや花札などの遊戯品を背負って、城崎やら鳥取やら日本海側の温泉街によく行っていました。それが僕が小学校5年生のとき、急に「ラーメン屋をやるわ、食うに困らんから。お前らにうまいもん食わしたらなあかんから」と言って、大阪市生野区から布施(現・東大阪市)に引っ越し、屋台を引いてラーメン屋を始めたんです。どこかで修業もしたんかなあ。しょうゆラーメンで、そりゃうまかった。おやじはよう「体に絶対ええからスープだけでも吸うとけ」と言っていました。スープはおやじの自慢。今も似た味のラーメンが神戸・三宮にあるんです。もともとラーメン好きやから、今でもラーメンを食べては「うちのラーメンに近いな」と思うことがあります。とんこつラーメンのような濃いやつはたくさん食べられんから、やっぱりしょうゆラーメンやね。

 出前もよく手伝いました。高校時代は野球部の練習が休みになる12月27、28、29日。お年玉をもらわなあかんから。配達するのにスープをこぼさんようにもっていかなあかん。楽しかったし面白かった。

 おやじは僕の社会人時代には近鉄の社員食堂で働くようになりました。(近鉄の)上の人がやってきて「料理をつくってえな」と言われて。「朝早いし、忙しいだけで、もうからんけどなあ」と言いながらも、社員食堂で働いてましたね。僕が昭和43年秋のドラフト会議で阪急(現オリックス)に入団が決まったとき、「ライバル関係になる近鉄さんに申し訳ない」と社員食堂を辞め、再びラーメン屋を開きました。義理堅くて優しく、尊敬できるおやじでしたね。(聞き手 嶋田知加子)

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