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【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(11)翫雀(かんじゃく)襲名披露と阪神大震災

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産経新聞

上方和事の代表的な役どころ、「封印切」の忠兵衛を演じる中村鴈治郎さん=平成27年1月、大阪・道頓堀の松竹座(c)松竹 1/1枚  ■翫雀(かんじゃく)襲名披露と阪神大震災

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 《平成7年1月、鴈治郎さんは、それまで名乗っていた中村智太郎(ともたろう)から五代目中村翫雀(かんじゃく)を襲名した。弟の三代目扇雀(せんじゃく)さんと同時襲名で、襲名披露公演は大阪・道頓堀にあった中座で行われた。翫雀の名跡は、祖父の二代目鴈治郎の前名であり、初代は江戸時代後期にまでさかのぼる》

 「かんじゃく」と読むんですけど、最初は誰もすぐ読んでくださらなかったですね。「がんじゃくさん」なんて、よく間違われました。

 私にとって、襲名自体が初めての経験。「智太郎」は本名ですから、芸名でやるのも初めてですし、襲名披露興行を関西からスタートさせるということも当時、ほとんどなかったですね。

 《襲名披露の演目は、「封印切(ふういんきり)」の忠兵衛(ちゅうべえ)と舞踊の大曲「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」。特に忠兵衛は、はんなりとやわらかな上方和事(わごと)芸を代表する役どころで、相手役の梅川に父、坂田藤十郎さん(当時、三代目中村鴈治郎)、忠兵衛の恋のライバル、八右衛門(はちえもん)に片岡仁左衛門(にざえもん)さん(当時、片岡孝夫)。上方を代表する二家が共演する豪華な舞台であった》

 ところが、この公演中、あの阪神大震災が起こったんです。1月17日早朝でした。実はその前日の公演で、父が「曽根崎心中」のお初を演じて通算千回という記録を達成していましたので、親戚が泊まりがけでお祝いに来てくれていました。私たち家族はホテル日航大阪で泊まっていて、いきなり大きな揺れで飛び起きました。

 火が上がっていたら逃げようと思って廊下に出ましたが、シーンとしていた。地震発生直後はどこが震源地か、情報が入っていなかったんです。でも、お芝居はでけへんやろなあと思っていましたら、劇場からだったか松竹からだったか忘れましたが、電話がかかってきて「舞台を開けます」と。「ええっ、開けるんだ」とびっくりしました。というのは、泊まりがけのお客さまが劇場に来てくださっていたんですね。

 その日は、開演を遅らせて上演しました。私の最初の出番は、襲名披露の「口上(こうじょう)」。頭を上げて客席を見てみたら、目で数えられるぐらいの人数のお客さまでした。今でも覚えているのは、同座しておられた(片岡)仁左衛門のおにいさんに「こんな状況ですから(お客さまに)来ていただけませんねえ」と言いましたら、「自分が若い頃は関西では客席はいつもこんな感じだった」とおっしゃられたんです。上方歌舞伎の厳しい時代を経験していらっしゃる言葉だなあと思いました。

 《大変な状況下での襲名披露公演だったが、翫雀襲名が上方歌舞伎への意識を高めたという》

 翫雀を名乗るようになってから、いろんなお役がつくようになりました。上方のお芝居も多くなりました。ただ、上方の役どころを演じる上で、まっさきに苦労したのはやはり大阪弁でした。そんなとき、知り合いのジャズドラマー、中山正治さんから「大阪ことば事典」をプレゼントしていただいたんです。当時の私には最高のプレゼントでした。(聞き手 亀岡典子)

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