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【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(10)徳兵衛役、英公演で覚醒

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産経新聞

近松座のイギリス・グローブ座での公演の様子。舞台上の左から2人目が鴈治郎さん、1人置いて坂田藤十郎さん=平成13年6月(アロープロモーション提供) 1/1枚  《大学時代に「曽根崎心中」で、祖父、二代目中村鴈治郎さんの徳兵衛の代役をしっかり勤めた鴈治郎さんだったが、父、坂田藤十郎さんは、自身の相手役に鴈治郎さんを使うことは当面なかった》

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 父はそういう人なんです。芸が不足だと思うと、自分の息子でも相手役に使ってくれない。最初の頃は、顔が似ているから舞台で並ぶのはいやなのかなあと思っていました。でも違った。ただただ、自分の舞台の邪魔になる、相手役として不足だと思ったんじゃないでしょうか。

 代役で演じた徳兵衛は、とにかくやった、というだけで、みなさんが「よかった、よかった」と言ってくださった。でも、根本的にできていたわけではないんです。「曽根崎心中」自体、近松門左衛門の作ではありますが、戦後、宇野信夫先生が大胆に脚色して現代に合うように書いてくださった作品。ストレートプレー的な側面もあるんです。ですから、「曽根崎心中」だから初めてでもできたといえます。逆にいうと、それでいて歌舞伎にしなきゃいけないわけですから、実は難しい。私の場合も、あとからその難しさに直面したのです。

 祖父が亡くなったあと、祖父の一周忌追善や巡業などでは徳兵衛を勤めさせていただきましたが、その後しばらくの間、私を使うことはなく、父はいろいろな方(尾上菊五郎さん、中村梅玉(ばいぎょく)さん、十二代目市川團十郎さん)の徳兵衛でお初を演じています。

 《当時の鴈治郎さんは、十八代目中村勘三郎さんや十代目坂東三津五郎(みつごろう)さんら、少し上の先輩たちに大いに励まされたという》

 とにかく毎晩のようにみんなで集まって飲んでいたような気がしますね。それで、何かというとすぐけんかになる。まるで、劇場や劇団が集まっている東京の下北沢みたいなノリだったんじゃないでしょうか。東京であろうが大阪であろうが、京都であろうが、歌舞伎公演があるところでは必ず、終演後みんなで飲んでいました。

 そこで、お二人に「おまえ、あの役さあ」とダメ出しされる。連日なので落ち込んでいる暇もなかったですね。でも当時のあの雰囲気のなかにいて、もまれたことが自分にはとても大きかったと思います。

 《鴈治郎さんが徳兵衛に覚醒したのは、平成13年。父、藤十郎さんが主宰する「近松座」のイギリス公演だった》

 外国でも「曽根崎心中」は人気の高い演目です。そのときは、近松座であったことや海外公演ということで、私が徳兵衛役を勤めました。そのときのイギリスの新聞の劇評に、作品をドラマとして評価していただいたんです。「曽根崎心中」というと、お初の芝居と思いがちですが、先入観のない外国の方は徳兵衛の苦悩も含めて作品自体の深さを評価してくださった。

 そこから、徳兵衛役のおもしろさに目覚めました。友達に裏切られ、満座の前で辱められた彼の苦しみ、死に向かっていく姿を演じることにやりがいを感じるようになったんです。上方のお芝居というのは、人間の表も裏も、長所も短所も丸ごと描いている。そこがおもしろいんですね。(聞き手 亀岡典子)

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