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【風を読む】消えた尖閣「古賀村」の謎

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産経新聞

尖閣諸島を含む東シナ海上空。手前から南小島、北小島、魚釣島。海上自衛隊の哨戒機P-3Cから=沖縄・尖閣諸島、平成23年10月(鈴木健児撮影)  1/4枚  明治期、尖閣諸島(沖縄県石垣市登野城尖閣)には古賀村があった。存在自体は知られているが、詳しい生活実態は謎に包まれていた。

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 それを多くの貴重な資料を使って解きほぐし、この村で暮らす人々の息づかいを伝える格好の本がある。

 「尖閣諸島盛衰記~なぜ突如、古賀村は消え失せた?」(尖閣諸島文献資料編纂(へんさん)会)だ。沖縄県を中心に埋もれていた資料の発掘、収集のほか、情報発信を目的に有志の学術団体がまとめたのだが、これが実に興味深い。

 関係者への丹念な聞き取りや現地調査から、村の配置図や当時の暮らしを伝える多くの写真、生活実態が描かれている。かつお節製造工場やアホウドリの羽毛採取工場の設置、村の各所に水くみ場や貯蔵タンクを所有していたことが分かる。

 豚とウサギを飼育し、クバの木を倒して山の斜面を切り開き、食料の自給自足を目指してサツマイモや陸稲、麦のほか、ゴーヤー、ダイコン、茶やタバコの栽培も確認されている。

 驚くのは、子供の存在だ。200人以上いた村民の中に、宮城、福島両県から将来の労働力として連れて来られた7~11歳の子供ら11人が島で暮らし、教育を受けていた。写真に写っていたあの子らはその後、どうなったのか、興味は尽きない。

 注目したいのは、絶海の孤島に現れた古賀村がなぜ、大正初期に忽然(こつぜん)と消えたのか-という最大の謎に学術的なアプローチで迫った点だ。かつお節製造の経営悪化説やアホウドリの乱獲による資源の枯渇説があるが、臆測ばかりでいずれも決め手に欠いていた。

 この書をまとめた有志は、これらの撤退説に疑問を持って調べるうちに大きな台風に襲われ古賀村が壊滅し、開拓者の古賀辰四郎氏も、島の経営から手を引かざるを得なくなったのではないかという結論にたどりつく。

 尖閣諸島の歴史に詳しい石垣市出身の元会社役員、桃原用昇(とうばる・ようしょう)氏は「自分も知らなかった古賀村の生活実態が詳細に書かれている。多くの人に読んでもらいたい貴重な本」と語る。

 桃原氏が言う通り、この事実を少しでも多くの国民が知ることで、島を守り、領土を守ろうというエネルギーが生まれるきっかけになってほしい。(論説副委員長・佐々木類)

写真一覧

  • 尖閣諸島を含む東シナ海上空=沖縄・尖閣諸島(鈴木健児撮影)
  • 尖閣諸島を含む東シナ海上空。手前から南小島、北小島、魚釣島が見えた。海上自衛隊の哨戒機P-3Cから=沖縄(2011年10月、鈴木健児撮影)
  • 魚釣島周辺=2011年10月、沖縄・尖閣諸島(鈴木健児撮影)

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