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【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(61)(2) 「まねき」に藤十郎なく喪失感

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産経新聞

「夕霧名残の正月」で藤屋伊左衛門を演じる中村鴈治郎さん=令和3年1月、東京都中央区の歌舞伎座(c)松竹 1/1枚  ■「まねき」に藤十郎なく喪失感

 《昨年は激動の年だった。新型コロナウイルスの影響で多くの歌舞伎公演が中止となり、11月12日には父で人間国宝、文化勲章受章者の坂田藤十郎さんが88歳で亡くなった》

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 あの日はNHK連続テレビ小説「おちょやん」の撮影で大阪にいましたので、父の死に目には会えませんでした。電話がかかってきて大急ぎで東京に帰りましたが、間に合わなかったですね。

 12月に南座の顔見世に出演するため京都に戻って、「まねき」(出演する歌舞伎俳優の名が書かれた看板)が上がったのを見ました。でも藤十郎の名前がなかった。寂しかったですよ。覚悟はある程度していましたが、こんなに喪失感があるのかと思いました。

 父が亡くなってすぐ、NHKが番組で父のことを取り上げてくれました。そのなかに平成17年の藤十郎襲名の際、父を追いかけてくださったドキュメンタリー番組の再放送があり、改めて見て、父の藤十郎襲名への思いがどれほど強かったのかをひしひしと感じました。

 初代の坂田藤十郎は、江戸・元禄期に優美ではんなりした上方和事(わごと)芸を作り上げた上方の伝説の名優。父はその名跡を継ぐことが夢だったわけですから、顔が輝いているんです。「自分は平成の藤十郎や」と。70歳を超えていたのにやたら若く見えました。上方歌舞伎の発展のために、本当に藤十郎という名前を世に出したかったのだと思います。

 その映像には、父が顔見世で自分のまねきが上がっているのを見ている場面があって、すごくうれしそうなんですよ。24年の顔見世では、上方歌舞伎の「坂田藤十郎」と江戸歌舞伎の「市川團十郎」のまねきが一緒に上がりました。父はいつも、「江戸歌舞伎と上方歌舞伎が両輪として栄えてこそ真の歌舞伎の繁栄」と言っていましたが、望んでいたことがかなったわけですから、そのときの喜びもすごかったですね。

 《今年1月、東京の歌舞伎座で「坂田藤十郎を偲(しの)んで」と銘打って、「夕霧名残(ゆうぎりなごり)の正月 由縁(ゆかり)の月」が上演された。鴈治郎さんの藤屋伊左衛門(ふじやいざえもん)、相手役の夕霧に弟の中村扇雀(せんじゃく)さん。今作は藤十郎さんが自身の襲名の際、初代藤十郎の芸を現代に復活させて上演した作品であった》

 父が自身の襲名のときに作った初代のユニホームともいうべき紙衣(かみこ)(紙でできた着物)を初めて着て勤めました。初代は、自分の芸を引き継ぐ役者に舞台上で紙衣の衣装を譲る「紙衣譲り」をしたそうです。自分も父からそういうことをしてもらえる役者になっていたいと思いましたねえ。

 《父、藤十郎さんは鴈治郎さんにとって、どういう存在だったのだろう》

 父親として、というより、やはり歌舞伎の先輩であり、師であり、という思いが今は強いですね。私が子供の頃は両親は忙しくて、親子の時間はほとんどありませんでした。それなのに、父の入院中はコロナの影響で歌舞伎公演がなくなっていて、しょっちゅう会えていたんです。父親としての思いはもうちょっとしたらいろいろ出てくるんじゃないでしょうか。(聞き手 亀岡典子)

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