【パリの窓】67人の名前

 人権侵害の被害者の取材では、注意を要する。迫害の恐怖を伝えようとして、時に誇張が交じるからだ。

 「仲間がこんな目にあった」と言うので、その状況を尋ねると、人づてに聞いた話だったりする。慎重に、本人の体験か否かを確認せねばならない。1990年代の旧ユーゴスラビア紛争、パレスチナ占領地の難民取材で学んだ。

 先月取材したウイグル人、ギュルバハル・ジャリロバさんの証言は、実体験だけが放つ力があった。中国語が話せないのに、収容所でたたき込まれた中国共産党の礼賛歌を歌ってみせた。腰をかがめて「毎日、こうやって歩いていたの」と言い、足錠の重みを体で再現した。

 最後に「みんなの無念を晴らしたい」と言って、67人の名前を書いたノートを広げた。一緒に収容されていた女性たちだ。1人釈放された後、中国当局の報復を恐れ、収容所の体験を長く家族にも話せなかった。自室に籠り、ひたすら名前を書き留めた。私語厳禁の所内で、短い挨拶(あいさつ)を交わした仲間たち。彼女たちを闇に葬らせてなるものか。そんな執念がにじみ出た。

 中国政府はウイグル弾圧を否定する。ではなぜ、ジャリロバさんに弁護人を付けなかったのか。なぜ、重い鎖につないだのか。何より、67人がその後、どうなったのかを明らかにしてほしい。(三井美奈)

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