中国の憂鬱 台湾への米兵器供与が意味するもの 

【軍事ワールド】

 米国が台湾へ最新鋭戦車などの武器売却を決定し、中国の反発を招いている。売却が決まったのはM1A2Tエイブラムス戦車108両や携帯型地対空ミサイル「スティンガー」250発など。台湾を「中国の一部」とみる中国共産党が反発するのは当然だが、台湾と比べものにならない強大な軍事力を持っているのも事実だ。反発の背景には、中国の拭いがたいトラウマがある。(岡田敏彦)

 ■最強の戦車

 売却が決まったM1A2T戦車は、M1戦車系列の最新バージョン「M1A2」の台湾向けタイプとされる。このM1戦車系列は、湾岸戦争やコソボ紛争、イラク戦争などで「最強」を証明した戦車だ。

 M1系列の開発はベトナム戦争後の1973年から始まり、76年には試作車が完成。80年に105ミリ砲を搭載した最初のタイプ「M1エイブラムズ」が正式採用された。次いで120ミリ砲を搭載した発展型にあたるM1A1が開発された。

 主砲弾の装弾筒付き有翼徹甲弾(APFSDS)は弾心に劣化ウランを採用しており、陸上自衛隊やドイツ陸軍の採用するタングステン弾芯よりも貫徹力が10%以上高いとされる。一般的な装甲(均質圧延鋼板)の場合、距離2キロ先の68センチ厚の装甲を貫く性能がある。第二次大戦時のドイツ・タイガー1型戦車の車体前面装甲が10センチ。戦後のレオパルト1で同7センチ。戦艦大和の主砲正面装甲(防盾)で65センチという数字と比べれば、威力の高さがうかがえる。

 一方でM1A1の防御装甲はセラミックス装甲に加え、劣化ウランを用いた網状もしくは板状の装甲を併用している。いずれも世界最先端の「盾(たて)と矛(ほこ)」だ。この戦車が世界最強とされるのは、実戦で「矛盾」にケリをつけたからでもある。

 ■矛盾

 矛盾は中国の故事からくる言葉。盾と矛を売る楚の国の商人いわく、商品の楯をほめて「この硬い楯を貫けるものはない」。矛をほめる際は「どんなものも突き通す」。それを聞いた人が「その矛で、その楯をつらぬいたらどうなるのか」とたずねたところ、商人は返答に窮したというものだ。M1A1戦車は、この矛盾を身をもって経験している。

 91年の湾岸戦争では、M1A1はイラク軍配備の旧ソ連製の最新鋭戦車T-72を一方的に撃破した。敵の射程外の距離3キロの彼方から、電子制御の火器管制システムを生かしてアウトレンジ攻撃を行い圧倒的な勝利を得たのだ。近接戦闘となった場合でも、T-72の砲弾はM1A2の装甲を貫けなかったが、M1A1の劣化ウラン砲弾はT-72の装甲を貫徹。内部の砲弾誘爆でT-72は爆発を起し文字通り吹き飛んだ。

 では「盾」の性能はどうだったのか。湾岸戦争時に1台のM1A1がぬかるみにはまって動けなくなり、米軍は2台の戦車回収車で引き上げを試みるも失敗。最新兵器を敵に奪われてはならないと考えた米軍は破壊を命じたが、友軍のM1A1が主砲弾を2発放つも正面装甲を貫けなかった。そこで装甲の比較的弱い砲塔後部を狙ったところ、ようやく装甲を貫いた。ところがこの砲塔後部は砲弾を満載する部分で、砲弾が誘爆しても乗員を守れるよう戦闘室とは強固な装甲扉で区切られており、乗員の乗る戦闘室部分はほぼ無傷だった。

 この実戦で、敵の戦車をことごとく破壊する主砲を持ってしても、自身の装甲は貫かれない事が証明された。盾の勝利は、「負けることのない」戦車を意味する。

 台湾に売却されるのは、このM1A1をさらに強化したM1A2型。電子装備がさらに強化され、戦闘情報を示すディスプレイの地図上に敵味方の位置が表示される。情報は味方の戦車や戦闘ヘリと共有できる。簡易的な陸軍用の無人機などとの連携も可能となる。

 ■米国の転換

 米国防安全保障協力局(DSCA)によると、売却されるのはM1A2Tエイブラムス108両と、故障した戦車を牽引(けんいん)するM88A2ハーキュリーズ装甲回収車14両、そして携帯型地対空ミサイルのスティンガー250発など総額22億ドル(2400億円)相当だ。

 トランプ政権以前の米政権は、中国との関係を重視し、台湾の軍事援助には消極的だった時期が長い。80年代には当時最新の米国製戦闘機F-16ファイティングファルコンの供与を米国が認めなかったため、苦肉の策として自国で戦闘機を開発(F-CK-1 経国)するなど冷遇されてきた。

 明らかに風向きが変わったのは、昨年10月ペンス副大統領がワシントンで行った演説からだ。貿易など経済分野だけでなく、安全保障分野でも中国に「断固として立ち向かう」と強調した演説は米国の対中政策の一大転換と米マスコミにも認知されている。米上院もこの対中強硬姿勢を後押しした。

 これ以降、中国は南シナ海を中心にした軍の活動領域の拡張に、米の「航行の自由作戦」で本格的にくさびを打たれ、貿易でも米国の関税攻撃でダメージを受けているほか、香港のデモやウイグル、チベットなどの民族問題が噴出するなどトラブル続きだ。そこへ「自国領」と見なす台湾への米兵器売却は弱り目に祟り目といったところか。

 ただ、英シンクタンクの国際戦略研究所の調べでは、中国陸軍は第3世代主力戦車約3390台、第2世代400台など膨大な数の戦車を揃えている。わずか100台あまりの最新戦車の売却に「中国の主権と安全利益を損なうもので断固として反対する」(中国外務省の陸慷報道官)と抗議し撤回まで求める背景には、過去の苦い教訓がある。

 ■上陸作戦

 第二次大戦後の49年、中国大陸での国共内戦で敗れた国民党は台湾へ逃れた。中国は台湾占領を目指し動き出すが、そこで焦点となったのが金門島だった。

 中国本土からわずか2キロ程度の距離にある金門島は、台湾侵攻前に押さえておかなければならない重要地域だった。中国軍は台湾の防衛部隊を2個師団程度と推定。第一波、第二波あわせて約2万人の兵力を投入し2日間で占領する計画を立てた。

 一方、台湾側は連戦連敗で本土を追われ士気阻喪していた。追い込まれたトップの蒋介石は、日中戦争時に相まみえた旧日本陸軍の根本博・元陸軍中将を頼る。門田隆将氏の著書「この命、義に捧ぐ」(集英社)などによれば、終戦と戦後処理の過程で蒋介石に恩義を感じていた根本元中将は、蒋介石の要請を受けて密かに海を渡り、台湾で軍事顧問に就任。上陸軍を迎え撃つ作戦計画を立案した。

 ■金門の熊

 侵攻軍が動き出したのは49年10月25日午前2時ごろ。中国軍の第一波約9000人が木製帆船(ジャンク)などで上陸し、薄い防衛戦を突破して内陸へ進んだが、これは罠だった。

 上陸用舟艇に事欠く中国軍はジャンクをいったん本土へ戻して即座に第二派1万人を送り込む算段だったが、多くが干潮で座礁。しかも主力は内陸へ攻め込み、上陸地点の防御が手薄になったところを台湾軍の攻撃にあい、ジャンクを焼き討ちされた。

 戦車や装甲車といった重武装を持たない上陸軍は、猛烈な反撃を受けた。なかでも台湾軍が3輌を配備していた米国製M5A1軽戦車の威力は絶大だった。本来なら中国軍が島を完全制圧しているはずの上陸3日目、中国軍は死傷者多数を出して降伏し、上陸軍は壊滅。1人も本土へ戻れなかった。

 戦車を持つ防衛部隊に対し、戦車を持たずに上陸作戦を行うことがいかに無謀かを、中国軍は身をもって味わったのだ。M5A1軽戦車は「金門島の熊」と呼ばれ、いまも激戦地となった金門島北西の古寧頭(こねいとう)に展示されている。

 これまで台湾ではM48やM60戦車などベトナム戦争前後に主力だった旧式戦車しか配備されていなかった。M1A2Tの配備は、中国の戦車部隊にとって大きな脅威となるのは間違いない。

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