満州を狙い日本に嫌がらせした米国 支那事変拡大にコミンテルンの影

 コミンテルンの工作は米国や中国国民政府だけでなく、わが国にも及んでいました。「国民政府を対手とせず」という声明で交渉の道を閉ざして支那事変を泥沼化させ、わが国に統制経済(つまり社会主義経済)を導入した首相の近衛文麿は、コミンテルンの影響を受けていました。

 近衛のブレーン集団、昭和研究会は社会主義者で占められ、メンバーの元朝日新聞記者、尾崎秀実(ほつみ)は支那事変を言論を通じてあおりました。後にリヒャルト・ゾルゲの下でソ連のスパイとして活動していたとして逮捕されました(ゾルゲ事件)。

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 尾崎は検事に対し、わが国が社会主義国に転換するために「特にソ連の援助を必要とするでありましょうが、さらに中国共産党が完全なヘゲモニーを握った上での支那と、資本主義機構を脱却した日本とソ連との三者が、綿密な提携を遂げることが理想的な形と思われます」と持論を供述しました。

 ルーズベルトは盧溝橋事件から3カ月後の10月5日の演説で、名指しは避けながらもわが国を「疫病」にたとえて非難し、「隔離」せよと訴えて挑発しました(隔離演説)。

 支那事変に中立でなければならない米国や英国は、仏印(フランス領インドシナ。今のベトナムなど)や英領ビルマ(今はミャンマーと呼ばれています)を通じて中国の国民政府に援助物資を運び込みました(援蒋ルート)。

 わが国に対する経済的締め付けも始まりました。米国務長官コーデル・ハルの特別顧問で親中反日のスタンレー・ホーンベックは1938年12月、ハルに「米国国民は今や思い切った行動を歓迎している」として日米通商航海条約廃棄を提案。翌1939年7月、米国はわが国に条約廃棄を通告してきました。

 この年の12月にはモラルエンバーゴ(道義的輸出禁止)として航空機ガソリン製造設備、製造技術に関する権利の輸出を停止すると通知。翌1940年8月に航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸、9月にはくず鉄の対日全面禁輸を発表するなど、真綿で首を絞めるようにわが国を圧迫していきました。(地方部編集委員 渡辺浩)

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