満州を狙い日本に嫌がらせした米国 支那事変拡大にコミンテルンの影

 このころの米国大統領は共和党のハーバート・フーバーでした。1922年に建国された共産主義国家ソ連に対して根強い警戒感を持っていましたが、世界恐慌に有効な対策を打てずに大統領選に大敗しました。

 1933年に大統領に就任した民主党のフランクリン・ルーズベルトは、わが国との戦争を想定したオレンジ計画の策定に着手したセオドア・ルーズベルトの五(いつ)いとこ(五代前が兄弟)で、義理のおい(妻の叔父がセオドア)にもあたります。

 フランクリン・ルーズベルトはニューディール政策などの社会主義的政策を進めるとともに、共和党の反対を押し切ってソ連を国家承認しました。このころから、米国内で国際共産主義運動の指導組織コミンテルンの工作が浸透し始めました。

 ■支那事変はソ連、中国共産党に好都合

 中国では蒋介石の国民政府軍と毛沢東の共産党軍が争っていました。1936年12月、中部の西安で蒋介石が部下のはずの張学良に監禁される西安事件が起きました。毛沢東は蒋介石を殺そうとしましたが、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは殺さず利用するよう指令しました。蒋介石は共産党軍への攻撃をやめ、一致して日本に抵抗するよう約束させられました。

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