満州を狙い日本に嫌がらせした米国 支那事変拡大にコミンテルンの影

 1929年、米国の上院議員リード・スムートと下院議員ウィリス・ホーリーが輸入品に極端に高い関税をかける法案を議会に提出しました。スムート・ホーリー法と呼ばれます。2人は実業家で、外国製品を追い出して自分の企業を守ろうと考えたのです。10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落(「暗黒の木曜日」)。世界恐慌に突入しました。翌年、この法律は成立し、恐慌は深刻化しました。

 英国は1932年のオタワ会議で、英国とその植民地の間で関税を優遇し、それ以外の国との間では高い関税をかけるというブロック経済に突入しました。米国も1934年に互恵通商法を成立させ、南北アメリカを経済ブロック化しました。中国の「門戸開放」を言いながら、自分たちは自由貿易を捨てたのです。

 そうなると、米国や英国のように広い領土や植民地がある国は有利ですが、わが国のように貿易に頼る国にとっては死活問題になっていきました。

 ■F・ルーズベルトが大統領に

 オタワ会議と同じ年に中国の北側に建国された満州国はわが国にとってますます重要な存在となりました。しかし米国にとっても、自国の中西部に似た資源豊かな満州の大地が欲しかったのです。米国は満州国を承認しませんでした。「有色人種にもかかわらず」ここを手にしたわが国に対して嫉妬心を募らせ、異常な敵意を持って妨害を始めたのです。

 第一次大戦後の米国外交について、米国の有名な外交官ジョージ・ケナンは「われわれは十年一日のごとく、アジア大陸における他の列強、とりわけ日本の立場に向かっていやがらせをした」(『アメリカ外交50年』)と述べています。

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