照ノ富士、番付通りの力を示してほしいと切に願う

【ベテラン記者コラム(130)】

 どうでもいいことだが、もしかしたらと思い、やっぱりそうだったと一人で納得した。大相撲春場所で優勝し、21場所ぶりの大関復帰が決まった照ノ富士が生まれたのは1991年。その年に彼の生まれたモンゴルにいた。当時は文化報道部の芸能担当。人生で唯一のモンゴル行きは映画のロケ取材だった。

 モンゴルの英雄チンギスハンを題材にした映画だったと思う。主役の俳優は不在で、エキストラを使ったシーンのみの取材。ゲルと呼ばれる移動式住居に泊まり、夜は草原に寝そべって星空をながめた。見渡す限りの草原に明かりは一切ない。落ちてきそうな満天の星に圧倒された。流星のようにすーっと流れる人工衛星を肉眼で見たのも、あのときが初めてだった。

 首都のウランバートルには、まだレーニン像があった。ホテルのシャワーはたびたび冷水になった。当時のモンゴルは決して豊かな国ではなかった。1991年は国名が「モンゴル人民共和国」だった最後の年。その年に生まれた照ノ富士と初めて会ったのは、2度目の相撲担当になってからだが、やんちゃな大関は嫌いではなかった。

 両膝のけがに苦しみ、かど番を繰り返していた大関が2度目の賜杯に大きく近づいたのが、2017年の春場所だった。13勝1敗の単独トップで迎えた千秋楽。2敗で追っていた新横綱稀勢の里に本割、優勝決定戦ともに敗れた。14年ぶりに誕生した日本人横綱の稀勢の里の人気は絶大だった。13日目の取組で左肩を痛めたことで、判官びいきも加わった。

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