好タイム出やすい東京に選手集中 びわ湖毎日が歴史に幕

■瀬古氏「寂しい」

 それ以降も、国内の多くのランナーがこの大会で世界への足掛かりをつくった。

 53年の第33回大会では宗猛(旭化成)、翌年の第34回大会では双子の兄の茂(同)が相次いで優勝。58年に「びわ湖毎日マラソン」に名称を変更した後も、63年の第43回大会では3カ月前の福岡国際マラソンを負傷欠場した瀬古利彦(ヱスビー食品)が優勝し、ソウル五輪代表の最後の1枠に滑り込んだ。

 近年も五輪や世界選手権の代表選考会の一つとして開催。平成14年の第57回大会を最後に日本選手の優勝はないが、翌年の58回大会では藤原正和(中大)が現在も破られていない2時間8分12秒の初マラソン日本最高記録をマークし、3位に入った。

 湖畔で風が強く、決して高速コースではないが、その分、「優勝争いをして自己ベストが出れば自信になるコース」と話す選手も多かった。現在、日本陸連の強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古は「円谷さん、君原さん、アベベとすごい人たちが歴史を作ってきた大会。なくなるのは寂しい」と実感を込めた。

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