追悼、ユベール・オリオール氏

 【ベテラン記者コラム(98)】

 灼熱(しゃくねつ)のアフリカ。そこは“砂漠”でイメージする砂丘(デューン)ではなく、固く乾いた地面にところどころ草が生えている、ステップだった。私は腰を下ろし、持参したランチの袋を開けた。同行したレースディレクターに「おひとついかが」と勧めたが、彼は遠慮した。

 1997年1月、私はダカールラリーを現地で取材していた。篠塚建次郎が日本人として初めて制した大会だ。

 当時はパリからセネガルのダカールに向かうのが基本ルートで“パリダカ”と呼ばれていた。通過する国の政情によってルートは毎回変更され、その年はダカールを出発して周辺国をめぐりダカールに戻る形だった。

 報道陣はビバーク(野営地)からビバークへ飛行機で移動し、車の到着を待って取材する。あれは何日目だったか、主催者ASOの監視ヘリに乗せてもらう機会を得た。走る競技車両を空からじかに見る貴重な経験だ。そんな中、ヘリは事故で動けないバイクを発見。救助したライダーを医療施設に運ぶため、レースディレクターのユベール・オリオール氏と私ら計3人がヘリから降りた。

 ヘリが迎えに来てくれるまで、灼熱のステップでのランチタイム。ピステと呼ばれるコースの脇で、猛スピードで駆け抜けるマシンを間近に見ることができた。オリオール氏とはほかにも話をしたはずだが記憶に残っていない。ただ、その後に私が起こしたヘリに関する失敗(恥ずかしくて、いまだに公言できない)で、彼の人間としての度量の大きさを感じた。

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