阪神の暗黒時代支えたキーオ氏 孤軍奮闘した背番号4

 米大リーグのアスレチックスが2日、球団の公式ツイッターなどでプロ野球元阪神投手で球団特別補佐を務めるマット・キーオ氏が死去したことを発表した。球団副代表のビリー・ビーン氏は「マットは偉大な野球人だった。試合に対して信じられないほどの情熱を持っていた」などと故人をしのんだ。

 米大リーグで通算58勝を挙げたキーオ氏が来日したのは1987年。阪神は85年に吉田義男監督の下で日本一に輝いたが、その後は下降線をたどり、キーオ氏が阪神に在籍した4年間は、5位が1度で最下位が3度という暗黒期だった。

 そんな中で、キーオ氏は来日1年目にいきなり開幕投手を任された。当時の吉田監督は「投手力が落ちていたので、思い切って起用した」と述懐したことがある。190センチ近い長身で、スリークオーター気味のフォームから切れ鋭いカーブを投げ込む。1年目こそ11勝14敗と黒星が先行したが、3年連続で2桁勝利を挙げ、89年には15勝9敗の好成績をマーク。阪神4年間で45勝(44敗)を挙げ、打線の援護が少ない中、チームの低迷期を支えた。

 阪神時代の背番号は「4」。それまで日本球界では投手が付けることが少ない番号だっただけに大きな印象を与えた。口ひげがトレードマーク。甲子園のマウンドで孤軍奮闘する姿は、阪神ファンの脳裏に今も焼き付いている。

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