カズが明かした激動の平成

 【No Ball、No Life】あと数時間で平成が幕を閉じる。今月1日に新元号が発表されたときから「時代が変わるとはどんな感覚なのか」と漠然と思ってきた平成生まれの記者の心には少し寂しい気持ちがわいてきた。

 そんな平成を「日本サッカー界が大きく変わった30年間」と評したのは、その全てをプロサッカー選手として過ごし、あす5月1日からは3元号でプロとしてプレーした唯一の選手になるJ2横浜FCのカズことFW三浦知良(52)だ。

 サッカーがマイナースポーツから国民的スポーツになった平成の30年間。カズは「こんなに激動の変化をした競技ってないんじゃないですか」と実体験を基づき大きな変化を振り返った。

 今や日本代表が試合や合宿をするとあれば多くのメディアが取材に訪れる。しかし、1992(平成4)年7月にハンス・オフト監督の下で行ったオランダ遠征で当時まだ注目度の低かった日本代表に帯同した記者の数はたった「2人」。それでも、同年8月のダイナスティ杯(現、東アジア杯)と11月のアジア杯広島大会で優勝すると状況は一変した。

 翌年93年にイタリアで行われた合宿には100人を超える報道陣が詰めかけた。当時25歳のカズは「毎年毎年、1日1日が変化していく感じがありました」と今のサッカー人気の下地が作られる過程を肌で感じ取っていたという。

 注目度だけではなく競技レベルも格段に上がった。昭和時代にはワールドカップ(W杯)のアジア最終予選にすら進出できていなかった日本が98(平成10)年にはW杯フランス大会に初出場。以降、史上2位タイの初出場から6大会連続で出場し、2002(平成14)年日韓大会と18年(平成30)年ロシア大会では16強に進出。世界との距離は確実に縮まった。

 激動の平成を文字通り駆け抜けた52歳は新時代に向けて「社会も変わるし、サッカーもまたそんななかで変わっていくと思う。令和でも新しいサッカーの歴史を作っていけたら」とさらなる進化を予見した。

 9月からは22年カタール大会に向けたアジア2次予選が始まり、来年には東京五輪も行われる。歴史を紡いできた日本サッカーが『令和』でどのような歴史を刻むのか。どんどんと先に進む日本サッカーに置いていかれないよう目を離さずに記者もついていきたい。(山下幸志朗)

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