「野球」で振り返る平成 国民的スポーツはどこへ向かうのか

 戦後の復興の中で長嶋茂雄、王貞治といったスーパースターを次々と輩出し、「国民的スポーツ」となったプロ野球は、時代が昭和から平成に移ると、大きな変革の時を迎えた。

 ◆巨人頼みからの脱却

 Jリーグ発足に端を発したサッカーブームの到来。お茶の間をにぎわし、家族だんらんの中心的な役目を果たしていた地上波テレビ中継の減少。国民の「好きなスポーツ」は多様化し、プロ野球の王座は必ずしも安泰ではなくなった。

 救世主の役割を期待されたのは、熱いプレーで昭和のプロ野球を牽引(けんいん)してきた長嶋氏だった。平成4年に巨人監督に復帰すると、8年には大逆転でリーグ優勝する「メークドラマ」を完遂。9年からは「メークミラクル」を掲げ、人気凋落(ちょうらく)に歯止めをかけた。

 「平成とは何だったか」をテーマに今年1月、日本記者クラブで会見したソフトバンク球団会長の王氏は「ON対決」となった12年の日本シリーズを振り返り「(西暦)2000年という区切りの年に、神様も味なことをやるなと。一緒に戦えたのは特別な年だった」と述懐した。

 しかし、昭和の残照もそこまで。長嶋氏が13年限りで監督を退くと、問題が噴出するようになった。16年には近鉄とオリックスの合併話が表面化。球界再編問題に発展し、8~10球団による1リーグ制構想も浮上した。反発した労働組合日本プロ野球選手会が史上初となるストライキを断行。労使の対立がファンの失望感を招いたのは否めない。

 結局、12球団による2リーグ制は変わらず、17年に楽天が新規参入。“空白区”だった東北・仙台に拠点を置いた。九州・福岡で地歩を築いたダイエー(現ソフトバンク)に、北海道・札幌に新天地を求めた日本ハム。パ・リーグの球団が地方で根強い支持を得るようになったのも平成の特徴の一つと言える。セ・リーグは広島が28~30年にリーグ3連覇を果たす一方で、9連覇時代の巨人のような突出した存在がなくなり、戦力均衡が進んだ。

 ◆メジャー挑戦加速

 平成におけるもう一つの潮流は、有力選手の米大リーグへの「流出」だ。契約がこじれて近鉄を飛び出した野茂英雄が7年にドジャースと契約。メジャーで「トルネード旋風」を巻き起こした野茂は13勝をマークし、最優秀新人(新人王)のタイトルを獲得した。

 その後も佐々木主浩、イチロー、松井秀喜、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平…。日本で実績を残したスター選手が海を渡った。イチローはメジャー通算3000安打をマークし、松井は愛称の「ゴジラ」で親しまれた。

 「われわれのときは(大リーグ行きを)考えたこともなかった。(今では)米国野球へのコンプレックスがなくなっている」と王氏。パイオニアとなった野茂以降、30年までにメジャーデビューした日本選手は57人に上る。

 世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)も創設され、日本は2連覇を達成。優勝メンバーの中心にいたのはイチロー、松坂ら日本の大リーガーだった。18年の第1回大会で優勝監督になった王氏は「日の丸をつけて戦うというのはパワーがもらえる」と語った。

 ◆減り続ける野球人口

 ドラフト(新人選手選択)制度の変遷も著しかった。有力選手が希望球団を選択できる逆指名(自由獲得枠、希望入団枠)制度ができたが、裏金が動くケースが相次いで廃止に。高校生と大学生・社会人の分離ドラフトが導入されたり、育成枠ができたり…。会議の公平性、透明性が求められるようになるとともに、テレビ中継やファン参加によりショー化も進んだ。一方で昭和36年の柳川事件以降、断絶状態にあったプロとアマの雪解けが進んだのも平成に入ってからだ。

 少子化などにより、野球の競技人口は減少している。日本高野連によると、平成30年度の加盟校の硬式野球部員数は15万3184人で15年ぶりに16万人を下回った。王氏は「野球がどれだけ魅力的か知ってもらう必要がある。野球は変化、進化している」と強調する。新元号の下、日本の野球はどこへ向かうのか。

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