錦織、快進撃の裏にあった天才少年の挫折…「つらい」と弱音も:イザ!

2014.9.9 14:32

錦織、快進撃の裏にあった天才少年の挫折…「つらい」と弱音も

 「世界のチャンピオンを目指す」と13歳で米国に渡ってから11年。島根県松江市出身の天才少年の夢は最後の最後についえた。だが、アジアの男子選手として初の四大大会ファイナリストという偉業に、いささかの曇りはない。

 日本男子選手にとって、世界のテニスの壁はいかに厚いか。錦織はプロ2年目の2008年、18歳で全米に挑戦し、1回戦でフアン・モナコ(アルゼンチン)を破って自身初の四大大会勝利を挙げた。この白星は日本人選手として四大大会で3年ぶり。それまでの丸2年、1回戦すら誰一人突破できずにいた。

 この勝利で錦織に対する期待はますます高まった。同年2月には米デルレービーチ国際でツアー初優勝を果たしている。全米でも続く2回戦を勝ち、3回戦では当時世界ランキング4位のダビド・フェレール(スペイン)も破って、世界に衝撃を与えた。だが、順調にみえたプロ生活スタートの陰で、未完成だった体が悲鳴を上げていた。

 翌09年5月に右肘の疲労骨折が判明し、夏に手術。1年間試合に出場しなかったため最高56位まで上げた世界ランキングも失った。待っていたのは地道なリハビリ。1年前までトップ10の選手と互角に戦っていた男が、4カ月にわたって幼児用のスポンジボールを打ち、走り込みや筋トレなど体を鍛え上げていった。

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