復興の決算(上)空前の再開発、わずか2カ月で決定 「対話より再建」の政治判断、巨額赤字に

 「こんな大事なことを行政が独断で決めるのか」

 平成7年3月12日、神戸市長田区で開かれた都市計画に関する住民集会。唐突に示された「未来の長田」の青写真に、拒否反応が出るのも当然だった。

 阪神大震災の発生からまだ2カ月も経っていない。手つかずのがれきの山が各所に残り、朝夕の食事の配給時には行列ができる地区もあった。被災者にとっては、きょう明日を生きることが最優先だったころだ。

 しかし、行政は5日後の同17日、都市計画を正式に決定。震災後の火災で53%(530棟)の建物が全焼し、焼け野原と化していた現在のJR新長田駅南地区では、区域面積約20ヘクタール、総事業費2千億円超という空前の規模で「震災復興市街地再開発事業」が行われることになった。

 あれから26年。兵庫県内で実施された同種事業のうち、新長田の再開発だけがいまだ完成を見ていない。神戸市は昨年7月、事業が完了する令和5年度までの収支見通しを初めて示し、赤字が326億円に上ることを明らかにした。

 売れ残った敷地が処分できなければ、赤字額は500億円を超える。当初の収入見込みからは実に1千億円近いマイナスだった。

 「社会情勢に合わせた大規模な見直しができなかった」。同市都市局の幹部はこう語り、スピード決定した都市計画の軛(くびき)から逃れられなかったことを認めた。

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 「お役所仕事」は物事が遅々として進まない例えだが、震災当初にかくも迅速な決定がなされたのは、法律の縛りによるところが大きい。

 当時の建築基準法84条に基づき、行政は被災地での無秩序な再建を防ぐため、建築制限を発令。災害発生から最長2カ月という制限の期限が迫っていたのだ。

 「住民が避難生活をしているなか、十分な対話が行えない。その一方で、街づくりを進める必要があるという二律背反の状況だ」。貝原俊民知事(当時)もこう述べ、「異例の措置」であることを認めていた。

 ただ、その1カ月前に「被災市街地復興特別措置法」が制定され、建築制限を被災から2年まで延長することもできた。それでも行政は「被災者の早期生活再建」を優先し、対話よりも事業化を急いだのだ。

 再開発事業では、いったん区域内の土地をすべて買収・収用し、希望者には買収に代えて再開発されたビルやマンションの床を与えることになる。都市計画を決定すれば先行買収が可能となり、被災者にまとまった生活資金を届けられるというメリットがあった。

 だが、周辺路線価は平成7年を100%とした場合、14年までに49%まで下落。一方で同年までに市が売却できた土地・建物は5割にとどまった。

 「目の前に被災者があふれ、その人たちの生活を第一に考えるのは、当然の判断だった」と現在の久元喜造市長が強調するように、「対話より再建」は、有事における政治的判断だったとはいえる。

 ただ、将来世代にわたるツケは決して軽いとはいえない。4半世紀を超えるあまりに長期の事業は、責任の所在を見通すことも困難にしてしまった。

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 商業色豊かだった下町はビル群へ変貌した。現在、区域内には大型の商業ビルとマンション計41棟が建設され、令和5年度末までに残り3棟が完成すれば事業はようやく終結する。

 借家で暮らしていた被災者約660人も7割が再開発ビルに入居。夜間人口も震災前から1・4倍に増加した。

 しかし、商業のにぎわいは回復していない。震災以前と同規模以上を確保した商業区画では、床面積の47%にしか商店主らが戻ってこず、空きスペースは売却のめどすら立たない。

 計画途中の段階ですでに商業者の転出や入居希望の撤回が相次いだが、事業の舵を一度切ってしまえば「行政内部でブレーキをかける者がいなかった」(市の検証報告書案より)。

 「市はハコだけ作って終わり。もとの長田は戻ってこない」

 新長田地区の大正筋商店街で商店を営む男性(65)がつぶやいた。大規模商業ビル内の商業床を購入して店を開いたが、理想とは違った。「いたるところで神戸の街は復興したといわれるが、どこか取り残されたようだ」

 再開発事業の検証に関わった兵庫県立大大学院の加藤恵正教授(都市政策)は「地域の特色や住民の声を理解していないと都市計画は間違った方向に進んでしまう。行政は新長田としっかり対面し、再生を図ってもらいたい」と指摘した。

 大災害からの復興事業はどうあるべきか。最大規模となった神戸・長田の事例を軸に考える。

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