めぐみさんに「お帰りなさい」伝えたい 拉致から43年、同級生の誓い

 新潟市の市立中学校、1年3組の教室を写した1枚の写真がある。1人の机と椅子だけがどこか寂しげに空いている。横田めぐみさん(56)=拉致当時(13)=が北朝鮮に拉致されるまで座っていた席だ。明るい性格で仲間にすぐなじみ、いつも笑顔だっためぐみさん。15日で拉致から43年。同級生は今も、青春の思い出と深い喪失感のはざまにさいなまれている。

(橘川玲奈)

 同級生の会の代表を務める新潟市の池田正樹さん(56)は今春、別の同級生から写真を見せてもらった。めぐみさんや自身が通っていた市立寄居中学1年3組の授業風景だ。同級生がノートに向かう中、ぽっかりと空いた1席が際立つ。めぐみさんが拉致された昭和52年11月15日以降に撮影されたものだ。

 「この時、横田が北朝鮮にいたのだと思うと、本当に悲しい」。めぐみさんを名字で呼ぶ池田さんは、そう言って、うつむく。

 記憶に鮮やかなのは、笑顔で、前向きに学生生活に取り組む姿だ。

 めぐみさんは51年9月、小学6年のときに広島から、池田さんの通う新潟市内の小学校に転校してきた。明るい性格ですぐになじみ、同級生の間では5年生から一緒にいたと勘違いしている人もいるという。

 中学では2人ともバドミントン部に入部した。めぐみさんは市の強化選手に選ばれるなど、いつも懸命にラケットを振っていた。

 しかし、学友とのありふれた青春の日々は、突然、途切れる。

 「昨日、横田がいなくなった。このことは誰にも言わないように」。拉致翌日の11月16日、担任教諭がクラスに告げた。バドミントン部の活動を終え、帰宅途中に姿を消したと聞き、直前まで体育館でともに練習していた池田さんのショックは大きかった。部活はその後、辞めてしまった。

 席替えをしても、学年が上がっても、めぐみさんの席は用意されていた。皆が帰りを待ちつづけたが、卒業の日が来ても席が埋まることはなかった。

 めぐみさんの父、滋さんが、めぐみさんの入学記念に撮影した写真で背景にした同中学の桜の木は、43年の年月がたち、朽ちかけている。当時の校舎も建て替えられた。年月の経過を痛感していた最中、今年6月に滋さんの訃報を聞いた。「本当に申し訳ない。早紀江さんには、必ず会わせたい」。池田さんは誓う。

 平成19年ごろから、積極的に救出運動に参加している。横田夫妻の全国各地での講演に加え、同じく高齢の小学校時代の教諭、中林千代さん(92)が署名活動に立つ姿にも胸を打たれ、「自分もできることをやろう」と続けてきた。

 最近は、8歳になった自身の長男を連れて署名活動を行うこともある。

 同級生の会を中心に、22年からは毎年、新潟市内でチャリティーコンサートを開いてきたが、今年は新型コロナウイルス禍で開催を見送った。来年の6月5日、滋さんの命日に合わせて再開するべく、会場の確保など準備を進めている。

 「来年6月は、帰ってきた横田に『お帰りなさい』といえるコンサートにしたい。横田も席に座って、聴いてほしい」。再会の日を信じ、走り続ける。

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