中国「日本漁船操業させるな」の“厚顔無恥”! 尖閣諸島の知られざる歴史…山本皓一氏「事故を演出し、中国海軍を上陸させる可能性も」

 沖縄県・尖閣諸島周辺での、中国の暴挙が止まらない。中国海警局の武装公船などの侵入は続いており、22日で「100日連続」となる。尖閣諸島は歴史的にも、国際法上も日本固有の領土であり、明治時代にはかつお節工場などが建設され、最盛期には200人以上の日本人が暮らしていた。「国境の島々」の取材を続け、尖閣諸島にも上陸した経験を持つ、フォトジャーナリストの山本皓一氏が、入手した貴重な写真を公開するとともに、領土・領海を守り抜く意義を激白した。

 「中国公船は連日尖閣周辺に居座り、日本の漁船を追い回すなど、その行動は『第2段階』に入った。日本漁船の写真を撮影し、国内外に違法漁船の取り締まりとしてアピールしている。次の段階として、中国漁船などの座礁事故を演出して、その救助として海軍を上陸させる可能性もある」

 山本氏はこう危機感を募らせる。

 海上保安庁第11管区海上保安本部(那覇)は21日朝時点で、尖閣周辺の接続水域で中国公船4隻を確認した。うち1隻は機関砲のようなものを搭載しているという。これで中国公船が確認されるのは、2012年9月の国有化以降、最長日数となる「99日連続」だ。

 尖閣諸島は、魚釣島や北小島、南小島、久場島、大正島などからなる島々の総称で、沖縄県石垣市の行政区分に含まれる。東シナ海上にあり、石垣島の北約170キロメートル、沖縄本島の西約410キロメートルに位置している。島には固有種を含む動物が数多く生息しており、周囲の海は好漁場としても知られる。

 1884(明治17)年に、福岡の商人、古賀辰四郎氏が探検隊を派遣し、尖閣諸島を発見した。その後、日本政府が他の国の支配が及ぶ痕跡がないことを慎重に検討したうえで、95(同28)年1月に国際法上正当な手段で日本の領土に編入された。

 日本の民間人が移住してからは、かつお節工場や羽毛の採集などは発展し、一時200人以上の住人が暮らし、税の徴収も行われていた。

 1919(大正8)年には、中国漁民31人が周辺海域で遭難し、魚釣島に避難していたところを日本人が救助し、中国まで生還させた。中華民国(当時)からは感謝状が贈られている。51(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約でも「沖縄の一部」として米国の施政下におかれ、72(同47)年の沖縄返還協定でも一貫して日本の領土であり続けている。

 ところが、中国は言語道断の対応を取り出した。

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