愛娘の抱擁かなわず 横田滋さん死去にやりきれぬ思い 社会部長・中村将

 5日他界した北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの父親で、被害者家族会の初代代表の滋さんは何を思い最期の時を迎えたのだろうか。無念だったに違いない。連れ去られた娘を奪還し、抱擁する願いはかなわなかった。拉致を認めながら、「解決済み」と不誠実な対応を続ける北朝鮮への憤怒は消えない。

 長女のめぐみさんが失跡したのは、滋さんが45歳の誕生日を家族に祝ってもらった翌日のことだった。どんなに捜してもみつからない。苦しみを重ねること20年。娘が北朝鮮に拉致されていた可能性があることを知り、驚愕(きょうがく)し、忘れかけていた希望も少し抱き、底知れぬ怒りも込み上げた。

 拉致被害者家族会の初代代表。《父 横田滋》と書かれたタスキを肩から斜めにかけ、街頭や演壇に立った。伝えたいことがありすぎて、しばしば早口になったり、言葉がつまったりした。家族会が結成された平成9年、大半のメディアが拉致問題を黙殺する中、街頭署名や集会の取材に行くと、めぐみさんのことをたくさん話してくれた。

 めぐみさんは昭和39年の東京五輪開会式直前に生まれた。女の子がほしかったから、喜びもひとしおだった。4年後に双子の弟が生まれると、早紀江さんは育児にかかりきりになり、めぐみさんの幼稚園の遠足には滋さんが付き添った。家族で動物園や旅行に行くときも、滋さんとめぐみさん、早紀江さんと双子の弟、という組み合わせ。「パパっ子だった」と目を細めたのを思いだす。

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