裏切りを重ねた憲法学者が文化功労者に… 吉田茂を親玉とした“敗戦利得者”集団

 憲法学というものは、国家、社会を背負った学問である。だから、そこでの学者としての良心は他の学問の場合とその意義が大いに異なる。憲法学には良心が必要なのだ。

 1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾することによって戦争を終わらせた。ポツダム宣言には「日本国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルル」において、占領軍は引き上げるとあった。

 これを日本側で誠実に実行するとした場合、大日本帝国憲法を改正しなくても実行できるとも解釈できるし、改正しなければ実行できないとも解釈できる。後者の場合も、部分的な改正で実行できるとも解釈できるし、大幅な改正をしなければできないとも解釈できる。占領軍としては後者の考え方をしていた。

 幣原内閣の下で、憲法改正に取り組んでいた憲法問題調査委員会の筆頭委員は、戦前戦中、東京帝国大学で憲法学を教えていた宮沢俊義で、帝国憲法は神勅憲法であるゆえに改正にはおのずと限界があると主張していた。

 そんなところに、46(昭和21)年2月13日、占領軍よりいわゆる「マッカーサー草案」なる、現在の日本国憲法の基となった改正草案が突き付けられた。

 時は21万人に及ぶ公職追放の嵐の吹き荒れていた真っただ中だった。それまでの主張を続けていては公職追放の恐れのあった宮沢は、一夜のうちに主張を変えた。「日本では、45(昭和20)年8月15日に革命が起きていた」という、いわゆる「八月革命説」を間もなく唱えるようになった。

 そればかりではない。最近出た高尾栄司氏の『ドキュメント皇室典範』(幻冬舎)によれば、皇室典範改正の委員になっていた宮沢は、そこで女帝や女性皇族と結婚した男性には皇族の身分を与え、皇室に氏を持ちこむように主張していた。

 皇室をめちゃくちゃにする、ここまでの裏切りがどうしてできるのか。

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