消費税は政争と結びつく「鬼門」 柔軟に上げ下げできない政治的な環境

【迫る10%】(3) 

 日本では消費税を柔軟に上げ下げできない政治的な環境がある。痛税感をことさら嫌う国民性からか、関連法案の審議が政局と結びついた鬼門となり、実力のある政権でなければ手が付けられなくなったからだ。

 日本で消費税の導入論が浮上したのは昭和50年代前半だ。高度経済成長の終わり間際を2度の石油危機が直撃し、法人税など直接税に支えられていた国家財政は危機に瀕(ひん)していた。

 そこで、税収が景気に左右されにくい「一般消費税」の導入を唱えた最初の首相が大平正芳だった。

 「国民が好まないことでも、やらねばならない時がある。それが政治だ」

 大平は増税を訴えるにあたり、そんな決意を側近に漏らした。大蔵官僚の後輩として大平の背中を見ていた元自治相、野田毅は「大平さんは蔵相時代に初めて赤字国債を出したという自責の念が強かった。『何としても自分の責任で財政再建を進めなければならない』との思いが伝わってきた」と振り返る。

 大平は54年1月、一般消費税の導入を閣議決定した。しかし、景気への影響を恐れた中小企業や消費者団体などが反発。大平は同年10月の衆院選の選挙期間中、「今のような状態でいきなり導入しても成功できない」と断念を表明した。

 その後、大平は悲劇に見舞われる。自民は衆院選で大敗し、これが党内抗争を誘引した。翌年衆院で内閣不信任案が可決され、大平は起死回生を期した衆参同日選の最中に急逝した。

 後続の首相は、この失敗を教訓とした。

 「大型間接税は導入しない。この顔が嘘をつく顔に見えますか」

 61年夏の衆参同日選で、首相の中曽根康弘はこう公約して与党を圧勝に導いた。中曽根は強い政権基盤を武器に、間接税で消費税と似た仕組みの「売上税」の導入法案を翌年提出。しかし「嘘つき」との批判をかわせず、自民は直後の統一地方選で大敗した。

 “三度目の正直”を成し遂げた首相は竹下登だった。激しい政争を勝ち抜き盤石な基盤を整えただけに、竹下は得意の「根回し力」も駆使して就任直後から税制改革に取り組んだ。

 法案を採決する63年12月23日の参院本会議は野党の牛歩戦術が一昼夜続き、可決は翌24日の夕方だった。

 「成立時、竹下首相は目を潤ませていた。自民党の山中貞則税調会長も、涙がこぼれないようずっと上を向いていた」。参院予算委員会の審議で、竹下とともに答弁を担った野田はこう述懐する。大平の提唱から10年の月日が流れていた。

 だが、リクルート事件の疑惑も絡んで内閣支持率は10%を割り込み、竹下は税導入からわずか2カ月後に退陣を余儀なくされた。

 消費税は時の政権の浮沈に左右されてきた。平成9年4月、首相の橋本龍太郎は5%へ引き上げを断行したが、同じ時期に金融危機が襲った。翌年7月の参院選で自民は大敗し、橋本は退陣。橋本は消費増税を生涯悔いていたといわれる。

 増税が政治課題として再浮上したのはさらに10年が過ぎた民主党政権だった。

 「ネバー・ネバー・ネバー・ネバー・ギブアップ」

 24年1月、首相の野田佳彦は年頭会見で増税への決意を表明。同年夏に「税と社会保障の一体改革」が民主、自民、公明3党により合意された。段階的に税率を10%まで上げる関連法が成立したが、増税は民主党の分裂を招き、年末の衆院選で大敗した。

 政権に返り咲いた安倍晋三は26年4月、8%への引き上げを3党合意通りに行った。ただ「こんなに景気が減速するとは思わなかった」と周囲に漏らすほど、一時は増税を悔いたとされる。その後、安倍は10%引き上げを2度も延期した。

 今回再増税にこぎつけた安倍を、自民党幹部はこう評する。「政権に数十年に1度の体力があるからだ」 (敬称略)

【用語解説】直接税と間接税

 直接税は確定申告などで自分が直接国や自治体に税金を納める。間接税は税を負担する人と預かって納める人が異なる。直接税には所得税や住民税、法人税などがある。間接税には酒税やたばこ税、消費税などが含まれる。

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