中曽根元首相100歳 「友情」の陰で神経戦 田中元首相への手紙

 昭和58年、当時の中曽根康弘首相は、田中角栄元首相に宛てた手紙で衆院議員辞職を求めた。二人は大正7年5月生まれで昭和22年衆院初当選の同期。ただ、中曽根政権は「闇将軍」といわれた田中氏の支援の下で誕生し、内閣は「田中曽根内閣」と揶揄(やゆ)されていた。衆院選を前に政局の打開だけでなく「脱田中」も図る中曽根氏と、権力に執着する田中氏との神経戦があった。

 「小生の大兄に対する信義と友情は全く永久に不変」「小生の大兄に対する信情は天地神明に誓っての信情」-。中曽根氏は手紙で田中氏との「信義と友情」を何度も訴えた。相当な気配りがうかがえる。

 当時の政治情勢は中曽根氏が後に、行政改革を掲げる政権にとって一つの「分水嶺(れい)」だったと指摘するほどの局面を迎えていた。

 58年10月12日、田中氏はロッキード事件1審の実刑判決を受けると所感や「所懐」などを次々と発表し議員辞職を拒否した。これに対し、田中氏の議員辞職と衆院解散を求める野党が反発して、国会は空転。三木武夫、福田赳夫両元首相(手紙で登場する「三、福」)ら自民党非主流派も野党に同調し、中曽根氏に圧力をかけた。

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