成田空港反対闘争、煽って逃げた社会党 小川国彦元衆院議員死去に思う

 社会党の千葉県議や衆院議員として成田空港反対闘争の先頭に立ち、その後は賛成に転じて成田市長を務めた小川国彦氏が20日に死去した。昨年死去した元社民党幹事長の伊藤茂氏もかつて成田闘争を指揮しながら、細川内閣で運輸相に就任すると一転して「立派な空港を造る」と宣言した。多くの犠牲者を出した成田闘争を煽り、いつの間にかいなくなった社会党、そして後身の社民党は、その変遷の歴史にけじめを付けないままだ。(地方部編集委員 渡辺浩=元千葉総局成田通信部)

 ■国会議員が一坪共有地で抵抗

 社会党は昭和38年に新空港の候補地に千葉県富里村(現・富里市)が浮上した当初から内陸部への空港建設に反対した。41年に成田市三里塚への建設が閣議決定されると、佐々木更三委員長が現地入りし、「社会党は空港建設阻止のために闘い抜く」と演説。党大会でも反対決議を行った。

 現地闘争本部を設け、集会に国会議員や総評傘下の労組員を大量動員したほか、用地買収を複雑にするため一坪共有運動を呼びかけ、国会議員や地方議員も一坪地主となった。

 46年の第2次代執行では国会議員55人が登記した一坪共有地が強制収用された。登記簿には当時の成田知巳委員長のほか、勝間田清一元委員長、後の村山内閣で入閣した大出俊元郵政相、山口鶴男元総務庁長官や阿部昭吾元社民連書記長、女性初の国会議員、加藤シヅエ氏らの名前が並ぶ。

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