橘諸兄創建の五重塔か 奈良時代の基壇跡が出土 京都・井手寺跡

 奈良時代に聖武天皇のもとで政権中枢を握った橘諸兄(たちばなのもろえ)(684~757年)ゆかりの京都府井手町の「井手寺」跡近くで、8世紀中ごろの建物の基壇跡が出土し14日、府埋蔵文化財調査研究センターが発表した。基壇の規模から五重塔とみられ、諸兄が創建した可能性もあるという。諸兄は当時、左大臣として藤原氏をしのぐ権勢を持ち、センターは「橘氏の権力の大きさを示す重要な成果」としている。

 井手寺は、諸兄が創建した氏寺で、約240メートル四方の伽藍(がらん)があったとされる。町役場建設に伴い伽藍東端から東約50メートルの場所で発掘したところ、大小の石が敷き詰められた方形の建物の基壇の北辺と西辺の一部が出土した。

 基壇は自然石と割石を積みあげ、北辺は15・3メートル、西辺も北辺と同じ長さと推定された。周囲には雨落ち溝と石敷きの床が広がり、北、西辺いずれにも階段跡が残り、北辺では4段分が確認された。奈良時代の塔基壇の大きさは七重塔なら一辺17~20メートルとされるが、今回は一回り小さかったため「五重塔」の可能性が高いという。

 出土品などから基壇は8世紀中ごろに築かれたが、塔自体は平安時代に完成したとみている。諸兄以降の橘氏は、藤原氏の排除を狙った諸兄の子、奈良麻呂の謀反で一時没落。平安時代に一族から皇后が出て再び隆盛を誇ったとされることから、京都大の上原真人名誉教授(考古学)は「平安時代に塔が完成したのは、橘氏が一時没落した影響で工事が停滞したせいではないか」と指摘した。

 現地見学会は17日正午から午後4時。

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