国土開発の先駆者、大阪を救った江戸の豪商、河村瑞賢 

現代にも評価される開削

 この当時、治水対策として大坂城近くで淀川と合流していた大和川を付け替え、独立した流路を造って海に流れだすようにするほうが効果がある、という有力な意見があった。が、瑞賢は「意味がない」と退け、この治水工事のメインを安治川の開削、としている。

 博物館「大阪城天守閣」の北川央(ひろし)館長は「大和川を付け替える要望に対して、瑞賢は治水の効果はないと判断した。実際、その20年後に大和川の付け替えが行われて、淀川と合流せず、大阪湾に流れ込むようにしていますが、かえって、上流の水害が増える結果になった。瑞賢の判断はすばらしかったというのが今の位置付けです」と説明する。

 当時の人々にも瑞賢の判断は支持されたようだ。

 「水害で荒らされてきた田は、今では肥えて作物がよくできる地となった。…。人々は声をそろえて喜び、工事をほめる声は野に満ちている。昔からこれまで、こんな大きな功績をたてた人はいないだろう」

 白石も「畿内治河記」のなかで、瑞賢、その治水事業をこう評価している。

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