聖徳太子没後1400年 コロナ禍で「和」の精神どう伝える

 飛鳥時代の政治家で思想家、聖徳太子の没後1400年の御遠(ごおん)忌に当たる今年、太子ゆかりの寺院や町は、法要や関連行事を相次いで計画している。新型コロナウイルスの収束が見通せず、感染者らへの偏見や「ステイホーム」などで社会の分断が懸念される中、「和」を重んじた太子の実像と精神をどのように伝えるのか。関係者らは知恵を絞っている。(岩口利一)

 聖徳太子が建立したとされる法隆寺がある奈良県斑鳩(いかるが)町。太子をしのぶ灯籠を同寺参道に設置するイベント「和のあかり」を3月に、同寺中門前での能楽公演を4月に計画したが、延期を決めた。

 町の担当者は「聖徳太子を通じて斑鳩町をPRできるいい機会と思っていたが、残念だ」とため息をつくが、「ライブ配信など『密』を防ぐ対策を取りながらなんとか実現させたい」と話す。

 「聖徳太子プロジェクト」を展開する奈良県は今月末に太子関連のシンポジウムを実施するが、大幅に来場者を減らす。担当者は「太子の魅力を全国の人に知ってもらうため、感染対策を施した上でさまざまなイベントを考えている」とする。

 太子をめぐっては、日本書紀に「和」を重んじる十七条憲法の内容などが記され、「一度に10人の訴えを聞き分けた」といった逸話が記載された。だが、研究者らによって資料や伝承の解釈は異なり、近年は虚構説も唱えられるなど実像がつかみにくい。

 十七条憲法制定などの政策にどこまで関与したかをめぐっても諸説唱えられているが、「和」の精神などから敬愛する人がいまなお多いのは確かだ。

 奈良県立図書情報館の千田稔館長は「『和』が大事だと言うだけでなく、いかにそれを築き上げるか考えることが重要。さらに、仏教を根底にし国家のあり方を変えようとしたイノベーションの力についても考えるべきだ」と話す。

 新型コロナによる不透明感が漂う中、感染防止を徹底した上で法隆寺では4月に法要を営む予定。御廟(ごびょう)所の叡福(えいふく)寺(大阪府太子町)も同月から5月にかけて法会を営む予定のほか、奈良国立博物館(奈良市)では、4月27日から太子にまつわる特別展も開かれる。

 法隆寺のある僧侶は、世界的な感染拡大という難局に際し、「太子の『和』の精神によって、みんなで力を合わせて、乗り越えられれば」と語った。

 【聖徳太子】 574~622年。用明天皇の皇子で、母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女。本名は厩戸(うまやと)で、「聖徳太子」は没後に贈られた名。推古天皇(女帝)のもとで、十七条憲法や冠位十二階、遣隋使(けんずいし)派遣などに関わったとされる。また、法隆寺(奈良県斑鳩町)を建立するなど仏教の興隆に尽くし、後世には浄土真宗の宗祖、親鸞(しんらん)ら多くの宗教家らから敬愛された。

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