飛鳥時代ののろし台跡発見、唐の侵攻を恐れた防衛施設か 奈良・高取町

 奈良県高取町で、丘陵上に造られた7世紀後半の飛鳥時代ののろし台跡が発見され、同町教育委員会は20日、「佐田タカヤマ遺跡」と命名、発表した。日本書紀には朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)の敗戦後、日本が情報伝達のためにのろし台を指す「烽(とぶひ)」を設けたと記されており、専門家はこの記述に関連する防衛施設跡とみている。こうした施設の発見は全国で初めて。

 のろし台の規模は東西約50メートル、南北約10メートル。のろしを上げる施設は、円形土壇に垂直に掘られた煙突状の穴で、深さ約2・7メートル、最大直径約2メートル。湿った枯れ草などを燃やしてのろしを上げたとみられ、穴の壁面が焦げ、灰も確認された。土壇上では枯れ草を貯蔵したとみられる倉庫の柱穴が見つかった。

 発掘現場は当時、都があった飛鳥宮跡(奈良県明日香村)の南西約3・5キロの丘陵上(標高152・5メートル)。のろし台の近くでは兵舎とみられる建物跡も見つかった。

 日本書紀によれば、白村江の戦いに敗れ、唐の侵攻を恐れた朝廷は天智3(664)年に対馬や壱岐(長崎)、筑紫(福岡)などに防人(さきもり)を配置し、情報伝達のためののろし台を設置。敵が襲来すれば約500キロ離れた都(飛鳥)まで、のろしのネットワークによって一報を伝えるようになっていたと考えられる。

 奈良県立橿原考古学研究所の山田隆文指導研究員は「白村江の戦いの後に、朝廷が造った烽に関連する施設跡の可能性が高い。飛鳥時代ののろしのネットワークを研究する重要な資料になる」としている。現地説明会は行われない。

アクセスランキング

もっと見る

ピックアップ