興福寺で出土の鐘楼遺構は最古の「袴腰」 奈良文化財研究所が調査

 奈良市の興福寺と奈良文化財研究所は25日、同寺境内から梵鐘(ぼんしょう)をつるした鐘楼(しょうろう)の遺構が出土し、奈良時代の創建当初の規模と構造が判明したと発表した。すそが広がった「袴腰(はかまごし)」と呼ばれる様式を持った最古の遺構と推測される。袴腰の鐘楼は平安時代後期以降に多く見られるだけに、奈良時代までさかのぼることが判明したことは、貴重な成果といえそうだ。

 興福寺は中金堂を中核とし、その北側にある仮講堂をはさんで東に経蔵跡、西に鐘楼跡がある。

 基壇は良好な状態で残っており、規模は南北約15メートル、東西約11メートル。9基ある礎石の配置から、鐘楼は南北約10・1メートル、東西約6・5メートルと推測され、基壇上では鐘楼を囲む素掘り溝(南北約13・4メートル、東西約10・1メートル)も見つかった。規模はいずれも、平安時代末頃の「興福寺流記」の記述とほぼ一致。溝は袴腰の基礎を抜き取った痕跡と推測されるという。

 袴腰は、漆喰壁か板壁を付けて装飾性や音響効果を高めたとされる。平安時代末の建立で、鎌倉時代に大修理されたとみられる国宝・法隆寺東院鐘楼が現存最古として知られる。

 興福寺の鐘楼は創建以降8回焼けたといい、調査でも墨層や焼土が確認された。この鐘楼が袴腰とみられることについて、鈴木嘉吉・元奈良国立文化財研究所長(建築史)は「これまでの常識を覆す発見。興福寺の伽藍(がらん)が当時、最先端だったことがうかがえる」と話している。現地見学会は28日午前11時~午後3時。

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