人間対人間 強さ超えた崇高 作家、磯崎憲一郎 ヒューリック杯棋聖戦第3局観戦記

 「タイトル保持者が平手でコンピュータソフトに負けたら、『将棋って人間よりコンピュータが強いらしいよ』ということになります。プロとしてはこうは言われたくありません。棋士そのものの価値まで疑われてしまう可能性すらあるからです」。二〇〇六年の秋に、当時最強の将棋プログラム、ボナンザと対戦することが決まった際の心境を、渡辺明棋聖は自著『頭脳勝負』の中でこう記しているのだが、じっさいその頃の将棋界では、AI(人工知能)が強くなってプロの棋士でも歯が立たなくなってしまったら、人間同士の対局になど誰も興味を抱かなくなってしまうのではないかという、憂慮の声がしばしば聞かれたらしい。

 しかし、現実にはそうはならなかった。AIが人類最強の名人に勝利した後も、将棋の対局は人々の興味の対象であり続けている。いや、それどころか以前にも増してテレビのニュースがタイトル戦の途中経過を事細かに報じたり、新聞が大きな紙面を割いて棋譜を解説していたりするのは、藤井聡太七段フィーバーの一言だけでは片付けることができない、やはり人間対人間の勝負ならではの面白さ、奥深さに、同じ人間である私たちはどうしようもなく惹(ひ)き付けられてしまうからなのではないだろうか? 棋聖戦第三局では正しくその答えを、他ならぬ渡辺棋聖自身が示してくれたように思う。

 先手藤井七段得意の角換わりで始まった対局は、午前中で七十六手という極めて速いペースで進んだ。藤井七段の強気の攻めを渡辺棋聖が落ち着いて押さえ込む状況がしばらく続いていたのだが、午後に入っての九十手目、敵陣の一番奥隅に飛車を置いて王手をかけるという、素人目にも異様に見える一手を渡辺棋聖が繰り出す。局後の感想戦で渡辺棋聖は淡々と「この辺りまでは考えた(研究した)ことがあった」と述べたが、この9九飛一手によって藤井七段を持ち時間四時間の内の一時間二十三分を費やすほどの長考に沈ませ、続く九十二手6七馬で均衡を崩すことに成功したのだから、そこまでには思い切った決断と駆け引き、そしてとうぜんこの一局に賭ける不屈の思いがあったのであろうことは想像に難くない。

 最終盤、持ち時間も使い切り敗色濃厚となりながら、それでも粘り強く玉を逃がし続ける藤井七段と、恐らく勝ちを確信しているはずなのだが、何度も天井を仰ぎ、首を傾(かし)げながら一手一手慎重に指し続ける渡辺棋聖の、大型モニターの中で向き合う二人の姿に、控室に集まっていたベテラン棋士や将棋担当記者たちの誰もが口をつぐんだまま、じっと見入っていた。画面からは人間同士の真剣な勝負だけが醸し出す、ある種の崇高さが感じられた。

 小林秀雄はあるエッセイの中で、「読みというものが徹底した将棋の神様が二人で将棋を差したら、どういう事になるだろうか」と自問し、「先手を決める振りだけが勝負になる」「無意味な結果が出る筈だ」と自答している。けっきょくAI同士が対局しても、私たち人間はこれに似た無意味さをどこかで感じてしまうのだろう。将棋は人間同士の勝負だからこそ面白い、それは私たちが、全身全霊で考え、戦う棋士たちの姿に、単なる「強さ」という以上の価値を見出そうとしているからなのだ。その最高の価値を携(たずさ)えた棋士たちの戦いは、次の第四局も続く。(寄稿)

 いそざき・けんいちろう 

 昭和40年、千葉県生まれ。平成19年に『肝心の子供』で文芸賞を受賞し作家デビュー。21年に『終の住処』で芥川賞。『赤の他人の瓜二つ』でドゥマゴ文学賞、『往古来今』で泉鏡花文学賞。27年、27年余り勤めた三井物産を退社し、東京工業大教授に。近刊に『日本蒙昧前史』がある。

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